''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

三谷光敏 『寄席芸人伝』三  「ヘラヘラの万太郎」物語より。

日差しは、戻っていません。
台風の影響でしょうか、曇り空の京都伏見です。

今回の台風で、全国的な被害が出ています。
それにして、珍しくチン道中の台風の道のりでしたね。
余り見た事がありません。

上陸していれば、もっと大きな被害になったかと思うと、奇跡かもしれません。
ほっとしています。
震災の東北への被害が、これ以上ないことを祈ります。

昨日もなかなか眠れませんでした。
昨晩もその前日も、アルアルでなくノンアルコールディーでした。
連日のナイナイディーでしたね。
呑む気がしなかったと言うのか、いろいろと考えることがあります。

その為、今日は2時間ほどしか、寝ていないようです。
今になって、眠くなっています。
仕事がありますので、仕事中にうとうとしないか、心配です。
心配事を考えても仕方ないです。

生きるの死のうという悩みごとではありませんが、生活と言う上では死活問題かもしれません。
時に深く考えず、ヘラヘラして見るものいいかもしれません。
絶望の中でも、ヘラヘラできる人物は、偉人かもしれません。
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ヘラヘラというと、ヘラヘラの万太郎です。
三谷光敏氏著の『寄席芸人伝』は、漫画です。
漫画と言う枠を超えた人生訓かもしれません。
時に感動して、涙を流すことがあります。

私の心の琴線に触れることがあるからです。
私は、話芸が大好きです。
落語だけでなく、講談も浪曲を大好きです。

落語のと言うと、笑いというフレーズが付きます。
「バカバカしいお笑いを一席・・・・」ってね。
これは、私の好みではありません。

やはり、落語も講談も浪曲も、好みは人情話です。
その中に笑いがあるのは、いいですよ。
人として生きていく上で、人様の人情の機微があります。

芸に命をかけた人情話の名人・橘家万太郎の物語です。
この時代では、芸人は売れてくると、寄席をかけまちします。
しかし、万太郎は、日に一高座だけです。
かけもちをしません。

同じ時代の売れっ子と言えば、円遊のステテコ踊りです。
寄席で三軒トリをして、18軒かけもちするという売れっ子です。
今なら、誰でしょうね。
M-1チャンピオンクラスでしょうかね。

もちろん、これだけ売れれば、当時はお座敷に呼ばれるとその祝儀は、大金です。
挙句の果てに、寄席で、通り抜けまでするという売れ子ですね。
芸でなく、芸人としての売れ方です。

人情噺の万太郎は、銭で芸を荒らすと、かけもちはしません。
家族細々と食えたらいいという芸人です。

そんな万太郎の子・新助が持病の心臓病で倒れます。
手術に当時としては、大金の800円が必要になります。
子供の命には、変えられません。
かけもちをすることを決意です。

その為、弟子の千太と師弟の絆を切ろうとします。
人情噺の万太郎が、話芸を封印しようと決意するたろです。
弟子の千太も、師匠について行く決意を固めます。
この辺から、少しウルウルです。

シラフでは出来ないので、一杯ひっかけます。
座興にと、ヘラヘラ踊りなるものをやると、これが大うけになり、子供までが真似をするという人気ぶりです。
金の亡者と化します。

あちこちの席亭から、出演依頼です。
しかし、1人だけ来ない席亭がいます。
柏木のお席亭が、万太郎の家を訪ねます。
高座の依頼です。

普通の報酬の他に、800円という席亭の全財産を持って、ヘラヘラ踊りでなく、人情噺の依頼です。
事情を知ってことです。

「お前さんが、我が子を死なせたくなかったように・・・、あたしも、人情噺の万太郎を死なせたくねえんだよ」
この席亭の言葉が、ぐっと来ます。

中村仲蔵」をやって欲しいと、熱望します。
涙腺が・・・・。
年ですね。
漫画を見て、涙するなんでね。
この漫画も、列記とした「人情噺」です。

寄席芸人伝、深いですね。
くよくよ考えても仕方ないです。
嫌なことも多いです。
それも、人生です。

時にヘラヘラして、時間の過ぎるのも待つの必要かも知れません。
辛いことも一時、忘れます。
それ以外に、日々の暮らしの中で、ささやかな「よかった」を見つけることも、しばしいろんなことを忘れることが出来ます。

生きているのでなく、何かの力で生かされています。
ありがたいことに、私は仏縁を頂いています。
仏縁が、悪い縁を切って、いい縁に結び付けて下さいます。
ありがたいことです。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それだけです。
道は近きにありですね。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、ヘラヘラした話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。