''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

11月のカレンダー「諸悪莫作・衆善奉行」 より。

既に11月に入り、今年も残すところ後2ヶ月を切りました。
いろんな事があった年でした。
いろいろと考えます。

月が分かりましたので、小学生の時の恩師に、今年頂いた臨済宗の墨蹟のカレンダーも、月捲りしましたね。

11月は、「諸悪莫作・衆善奉行」です。
堺の南宗寺僧堂師家 田島硯應老師の書です。
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一休禅師の「諸悪莫作・衆善奉行」が有名です。
書き間違ったバージョンも私は好きです。

大意
「悪い事はするな、善いことをせよ」実行する事は容易でない。一切の煩悩妄想を打ち払い、心が清浄でさえあれば、行いは自然と正しいくなる筈だが「自浄其意」よりほかになし。これこそが仏法の大意。実行するのはむずかしいことなのだ。

七仏通誡偈(しちぶつ つうかいげ)の一節ですね。
仏教で釈迦以前に存在したとされる6人の仏と、釈迦を含む7人の仏(過去七仏)が共通して説いた教えを一つにまとめたとされている偈であり、『法句経』などに収録されている。
(Wikipedia抜粋)

よく引用される言葉ですね。
唐の白楽天と牛頭宗(ごづしゅう)禅僧・鳥窠和尚との対話で有名です。
その引用を、利休居士と客人の対話を笑嶺和尚が、引用されています。
過去の記事にしています。

「夏はいかにも涼しきよう、冬はいかに暖かきよう・・・・」の一節が思い浮かびます。
秘する花はないと、利休居士は言われます。
仏の世界にも、この「諸悪莫作・衆善奉行(悪い事はするな、善いことをせよ)」にあるとなれば、そこに秘する花はないのかもしれません。

人の暮らしは、平坦なものです。
同じ事の繰返しをしています。
寝て起きて食事をする。

生きる為に、その糧を得なければならない。
辛い事の毎日がそこにあります。

しかし、そんな平坦な日々の暮らしの中に、ささやかな幸せを見つけます。
昨晩の月は、綺麗でした。
慰労の手酌の晩酌も、美味かった。

いろんなことがあっても、そこにはどんな所にも、ささやかな「よかった」はあるはずです。
それを見つけられる人は、幸せです。

何かに比べての、相対観の幸せを見つける。
それも幸せです。

しかし、絶対観の中に、自分の幸せの価値観があれば、そんな幸せなことはないです。
でも、その幸せの大きさでなく、常に日々の暮らしの中で、見つけられるといいです。

自分の分にあった暮らしが、そこにある。
上を見ても、下を見ても、キリがない。
キリと言っても、使い古した使えない「老古錐」もキリであります。

何かそこに見つけられるものがあるはずです。
感謝と言う言葉と気持ちを持ってすれば、ですね。
ありがたい仏縁に感謝です。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、白か黒か、丁か半か、はっきりしない話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。