''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

シメジと肉団子の常夜鍋を食らう より。

朝から天気がよくて、午前中に今日の大事な用を済ませました。
少し大きな仕事でしたので、気持ちが疲れて、ほっとしましたね。

人生の節目節目に、いろいろなトラブルがあります。
乗り越えられる試練だけを、天は与えると聞きます。
とは言え、なかなか乗り越えるのも、至難かもしれません。
なせばなる。

この言葉に、元気づけられます。
そして、勇気づけられます。

自分に向かって、気持ちを奮い立てないといけません。
少しでも、「あー、しんどい」と思うと、それまでです。

そんな中にあって、冷蔵庫の有るもので出来る晩酌タイムの肴は、嬉しいです。
最近、精神状況が良くないのか、晩酌タイムの記事をよく書き記しています。
違う話にしようと思うのですが、やはり、自分にとって心地よい空間が、そこにありそうです。

悪く言えば、逃げ込んでいるだけかもしれません。
でも、どんな状況下にあっても、逃げ場所は確保する必要はあります。
追い込んではいけません。

何気なく「頑張れ」と言われることがよくあります。
でも、本人は、頑張っています。
その上、いっぱいっぱいの所になっているのに、まだ頑張れと言っても、気持の持って行きようがないです。
そんな時、「頑張らないで」と、声をかけるのも意味があります。

頑張らない人ほど、よく頑張れと言います。
それじゃ、自分が頑張ればいいしゃないですかって、思いますね。
かける言葉がないので、とりあえず「頑張って」は、NGワードだと感じます。
イメージ 1

先日作った晩酌タイムの肴は、シメジと肉団子の常夜鍋でした。
天に鰹節を振りました。

シメジとポン酢の相性は、大変いいですね。
私にとっても、誰かさんと一緒かもしれません。

シメジをボイルした上に、刻んだネギと一味をフリフリして、その上からポン酢をかけただけの「シメポン」は、大好きな居酒屋さんメニューです。
もちろん、家呑みですから、家で自分でも作ります。

小さい豆腐が、ごろっと下に入っています。
その上に、シメジと肉団子とほうれん草が乗っています。
後から、マロニーも乗せました。

一椀の中に、常夜の鍋を凝縮です。
もちろん、イチラーですから、一味もフリフリです。
もちろん、タバラーですから、タバスコもフリフリしました。

豆腐には、一味のような刺激あるものがよく合います。
マーボー豆腐が、やはり代表格かもしれません。

この肴なら、発泡酒の極ゼロでも、日本酒の燗酒でもあります。
この日も、残っていた沢庵をポリポリしながら、燗酒の後追いでしたね。
沢庵で呑むのは、好きです。
居酒屋さんでも、漬け物の盛合せ、俗に「漬け盛り」をよく頼みます。

沢庵の歯ごたえがいいですね。
その心地よい音が、口腔でこだまします。
歯ごたえ、歯触り、噛みごたえも、旨みの要素です。
噛む音が、美味さをより一層演出します。

音と言えば、妙法華経の観世音菩薩普門品第二十五に、幾つのも音の名前が出てきます。
「妙音。観世音。梵音。海潮音。勝彼世間音あり。・・・」
どんな音なのか、私のような凡夫では、聞けるはずもありません。
でも、天界にあっても、音楽の調べはあるように聞きます。

宗教的な音と言えば、雅楽がそんな感じです。
天の音、地の音、龍の音でしよう。
龍笛の音色は、まさに天と地の間を飛ぶ龍のように感じます。
まるで、天空を龍が飛んでいるのが、見えるかのようです。

過去の記事で、龍の姿を写真でとらえた事が何度かあります。
その1 鱗体と目と白いひげが見える
その2 黒龍の目が見える
夜叉

そう見えるだけの気のせいだと言われれば、それまでです。
しかし、天に龍が舞っている気配を感じます。
それと同時に、いろんなものが、天に現れる事が多いです。

法華経にも、「天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅緊那羅・摩睺羅迦・人非人」という定型句が、時々見られます。
そう言えば、龍の傍に、いろんな目が見えると感じるのは私だけでしょうかね。
一度、その1の写真もご覧になって下さい。

龍神は、守護神だと言われていますからね。
何だか見守られているような気になります。
黒龍さんの目が、ちと怖いです。
それとも、ドラゴールボールみたいに、神龍にお願いことでもしましょうかね。

しあわせになれますように、見守っていて下さいってね。
幸せは、金銭的なものだけではあります。
あって邪魔にならないのも、お金です。
でも、それがすべてはないように思えます。

家呑みで、晩酌タイムに頂く常夜の鍋は、私にはちょうどいい贅沢です。
ありがたいと感謝して、呑んでいます。

そうそう今月から12月ですね。
毎年の企画もやり始めます。
最初の龍と言えば、同じ播州龍野藩主・脇坂淡路守殿をイメージさせます。

赤穂浪士』では、明るい中村錦之助さんが演じられておられましたね。
忠臣蔵』(1959・東映)の市川右太衛門さんの脇坂淡路守様が、凛としていいですね。
映画の世界では、まさしく神様のよう存在だったかもしれません。

日々の暮らしの中に、自分の分にあった「ささやかな幸せ」があります。
ありがたい仏縁を得たと、感謝しております。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それを願うばかりです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事でありますようにと念じます。

最後まで、無用な発言を不問(普門)に臥しても貰いたい話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。