''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

伏見大手筋のラーメン藤にて、ラーメンタイム より。

朝からいい天気になりました。
朝から役所回りでした。
少し疲れましたね。
個人的な用向きで、区役所に向かうと、いろんな人の出来事が垣間見られます。

ちょうど、私の隣の男性は、出生届を書かれていました。
でも、何やら手が止まっていたのが、印象的でしたね。

もしかして、もしかして、歌の歌詞じゃないけれど、子供さんの名前、今考え中ってことはないですよね。
それとも、奥さんと決めた名前が、どうもしっくりこなくて、自分が考えた名前で出そうか迷っていたのかもしれません。

私の思い過ごしで、あって欲しいです。
それにしても、今時の子供にも名前の流行は感じられます。
先日も新聞に保険会社の調査の赤ちゃんの名前が、上位から並んでいました。
どんな名前があったのか、余り印象的ではありませんでしたが、明らかに流行を感じます。

何年かして、学校に行くと、同じような名前の子供で出くわします。
時代を反映するのも仕方ありませんが、一生使うものですから、流行りで決めるのはどうも納得できません。

とは言え、私も人の人は言えません。
今の名前で、3回目です。
名前でから、下の名前です。
未だ苗字に変更は、ありません。

訳あって、戸籍の上では、3回目の名前です。
もう次に、変更しても、書くスペースがない状態です。

そんな役所の帰り、いつもよく行く伏見のメインストリート大手筋通りのラーメン藤に行きました。
ランチ時は過ぎていましたから、お客さんも少なめです。
この辺がいいですね。
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ラーメン並(480円)、麺カタです。
そして、小ライス(100円)も一緒にオーダーです。
沢庵も乗っています。
この辺は、嬉しいです。
カウンターなら、自分で漬けものが取れます。

今日もラーメンの麺カタは、私好みでしたね。
私の口には、よく合います。
美味かったですね。

どういう訳が、スープがいつもより薄かったです。
いつもは、もっと濃い口のはずです。

濃い口と言えば、刀の鯉口です。
この12月は、忠臣蔵の特集企画です。
播州人として、毎年この赤穂事件を、いろいろと模索しています。

もともとの原因と言えば、播州赤穂藩主・浅野内匠頭長矩(ながのり)が、元禄14年(1701)3月14日午前11時頃、江戸城松の廊下で、高家筆頭・吉良上野介義央(よしひさ)に鯉口を切って、小さ刀で斬りつけた事件です。

まず、小さ刀で斬りつけても深手にはなりません。
斬ったりせずに、刺さないと、お命頂戴できません。
「この間の遺恨覚えたか」と叫びながら、斬りつけるとは笑止千万です。

本当に、刺し殺すなら、静かに近づいて、「吉良様」と声をかけます。
すると、上野介とこちらを向きますから、その時、心の臓に、小さ刀を刺し込むだけです。
仕事人みたいに、鮮やかに先に向かえば、気づかれません。

気もつけないといけないのは、その時、必ず帰り血を浴びますから、刺したら刀は抜かずに立ち去ることです。
証拠隠滅の為に、小さ刀は2本の用意が必要です。
無銘の白鞘なら、後が付きません。

それを、わざわざ、相手に逃げる隙を与えたのが、後のまつりです。
ここからが、赤穂浪士の苦悩が始まったわけです。
この状況では、目撃されていた場合には、喧嘩両成敗に持ち込めたはずです。
辞世の句も、「如何にとかせん」と野暮な最後でなく、「浮世の月にかかる雲なし」と読めたはずです。

それでも、残された家臣は、悲惨です。
今で言う会社の倒産ですからね。
一家路頭です。

家臣にも下僕や下働きが奉公しています。
この方々も、お暇が出来ますからね。

筆頭家老の大石家なら、1500石に見合う家臣(陪臣)や若党などの自分の家来も、20人近くは従えていたと思います。
雑用の下男や台所の下働きなども含めると、総勢40人~50人位の人間が働いていたのではないかと、推測出来ます。

寛永10年(1633)2月や慶安2年(1649)10月の軍役にしても、1500石なら、30人近い軍役になります。
この上、鉄砲2挺に、弓1張、持鑓3本と細かい規定があります。
まあ、旗本の軍役でしょうが、大名家の家臣の同じような軍役が与えられているはずです。

会社で言えば、重役に違いありません。
それも、筆頭家老なら、専務取締役か副社長の要職にあります。
社長が居なくなっても、じゃ次、自分が社長をすることは出来ません。
世継ぎが居ないなら、それで倒産です。

当時は、大変厳しいご時世です。
身分や家柄によって、何もかも決まってしまします。

とは言え、源の血筋の銘門吉良が、意地悪するようなことはありません。
まして、あえて賄賂を求めるようなこともないと思います。

そんな事をしなくても、気持ちとして贈答品を贈るのは、武家の作法です。
藩主がするのでなく、江戸家老が気を利かせてやる事です。

赤穂藩がなくなれば、最大の責任者の江戸家老も、47人の中に名前があってしかるべきですが、そんなややこしいことはしません。
高録のご恩は、皆無です。
それが、上級武士の意識です。
次の士官に、親戚の根回しが働きます。

この辺は、現代社会でも通じる薄情です。
武士と言っても、刀も抜いた事がないのが、大半です。
当然です。
街中であろうが、殿中であろうが、刀を抜けば、それで人生も家名も終了です。

鯉口を切って、刀を抜くのは、手入れの時だけです。
刀は鉄ですから、錆ます。
でも、少しでも錆びれば、砥ぎ賃がかかります。
ですから、丁子油を塗って、刀を空気に触れさせないように、油で被膜を作ります。
しかし、その油も定期的に取り去って、新しい油と交換するのが、正しいお手入れです。

時代劇で、何やら耳かきの大きなふわふわ見たいなものを、刀に当てています。
事件が起きた時に、警察の鑑識が、指紋を採取する時に使うように、チュッパチャプスみたいな、あれです。

砥石の粉が、付いています。
それを、刀に付けて、古い酸化した油をふき取って、新しい丁子油と交換して、また油の被膜で、刀を錆からシャットダウンです。

刀に出来た汗疹に、テンカフン(天花粉)塗っているのではありません。
テンカフン(天花粉)って言うても、知らない世代が多いです。
今時で言うなら、ベビーパウダーですね。

それにして、余程の刀愛好者じゃないと、それほどこまめにはしないと思います。
それも名刀何でしょうね。
「今夜の虎徹はよく斬れる」なんてセリフに騙されたりしないで下さい。
ほとんど大名家の秘蔵品ですよ。

あの大老井伊直弼公も御寵愛です。
大老殿も、茶の湯だけでなく、刀にも造詣が深かったようです。
もちろん、彦根博物館にも、刀剣の秘蔵品が多く収蔵されています。
赤揃いの井伊家は、武門の家柄です。

きっと、井伊直弼公も愛蔵の刀に、その作業されていたと思います。
まあー、刀抜いて戦うこともなかったはずでしたね。
桜田門の襲撃では、刀を抜く間もないと思います。
もととも、脇差しか携えていません。

無念であったかと思いますね。
素手なら、いいパンチが出たかもしれません。
それは、上岡さんに失礼ですね。
ノック、フック、パンチと来れば、前に来るのは、伊井しか思いつかなかったんですからね。

香川登枝緒先生ね。
ちょっと懐かしいですね。

武士の忠義と、禄高は反比例するのが、元禄時代の常です。
その中にあって、真の忠義を見せた1500石の家老・大石内蔵助は偉いと思います。
本当は、やりたくなかったでも、腹を括れば、前に進むしかありません。
現代社会でも、大手の不祥事に、その会見をする責任者の愚かな振る舞いが多い事は、今も昔も変わらないです。

まずは、自決する覚悟がありません。
それだ、責任と給与は比例するはずなのに、それも反比例する社会が、ここにあります。
役員なら、会社の経営が悪い時こそ、その実力を見せて貰いたいです。

景気がいい時や、順調な時は、誰が役員でも同じかもしれません。
取締役全員賛成の中、「反対」の声も出せません。
横並びの決定に従うだけです。

ラーメンライスの商売に、それほど景気の動向は左右されません。
久しぶりに食べたラーメン藤のラーメンは、体も心も温まりました。

万人向けの特別うまいとは、言えませんが、私には、心と胃袋に沁みわたる食べ慣れた味です。
もう少しすると、自分の都合で、このラーメンも食べられないかもしれません。
少し寂しい気がします。
感慨深いラーメンの味になりました。

日々の暮らしの中に、自分の分に合ったささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁を得たと、感謝しております。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それを願うばかりです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事でありますようにと念じます。

最後まで、ラーメンの麺のような長い話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。