''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

自由軒風、混ぜ込みカレーを食らう より。

寒さが、日に日に募ります。
朝晩の温度も、ぐっと下がります。
朝通勤のスクーターの風が寒いです。

今日は、午後に帰って来ました。
約束がありました。
父が郷里播州からやって来ています。

今コタツに入って、横に居ります。
今晩は、親子して二人の晩酌タイムです。
何か鍋にしようかと用意もしています。

日本酒の熱燗も用意してありますから、刺身も用意しています。
父も刺身は好きです。
意外にも最近は、日本酒を呑んでいると聞きます。
もちろん、1合の半分ほどの量です。

それでも、親子で日本酒のやり取りが楽しみです。
そう言えば、先日食べた家での賄いごはんが、印象的でした。
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私の好きな自由軒風のカレーの混ぜ込みです。
カレーをライスにかけるカレーライスでなく、一緒に混ぜ込んでフライパンで炒めます。
これはこれで美味いです。
と言うより、私のこの賄い風のカレーが好きです。

人によれば、インディアンカレーと呼ぶ方もいいます。
たまには食べたくなります。
このカレーには、下品にウスターソースを、上からかけても美味いです。
懐かしい味わいです。

混ぜ込んだカレーと言うのが、ポイントです。
混ぜ込んだと言えば、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」ですね。
現実を話にすることは出来ません。
それは、お上からの中止の沙汰が出ます。

悪くすれば、死産遠島の沙汰が出ます。
それも、寛延元年(1748)8月、大坂竹本座にて初演と言いますから、元禄14年(1701)の事件から、45年以上経ってから、何とかお上の許しが出たと言う事になります。
もともとは、人形浄瑠璃および歌舞伎の演目の一つです。
やはり、いきなり人間でなく、人形浄瑠璃で試します。

それにして、仮名手本忠臣蔵は、仮名文字47と赤穂浪士47人と、混ぜ込んだタイトルが凄いです。
それに、本名ではありません。
少しだけ変えているのが憎いです。

でも、多くの人には誰か分かります。
その程度の編名です。
しかし、中には本名より仮名手本忠臣蔵の方が、有名になった浪士の名前もあります。

そんな中に、赤垣源蔵がいます。
本名は、赤埴源蔵(あかにわげんぞう)です。
それを有名にしたのは、講談の『赤埴源蔵徳利の別れ』でしょうね。

「兄上様・・・・」
衣紋かけ兄の着物をかけて、一人酒を呑みます。
今生の別れです。
その姿に涙します。

これが、現実虚実の混ぜ込みです。
赤垣源蔵は、下戸です。
それに、兄は居ません。
もともとの前提が、造られた物です。

そんな偽りに涙した私は、愚かでしょうかね。
そんなことはないです。
偽りだからこそ、エッセンスが有ったんです。

この講談は、大好きです。
翌日兄が浅野の浪士が、吉良邸に討ち入ったことを知ります。
下男に、その中に、音う源蔵がいるのか見て来いと命じます。
もし居たら、近所に聞こえるような大きな声で、「源蔵さまがおいでです」と叫んで帰って来いと、強く命じます。

武門の誉れですからね。
弟に、赤穂浪士の47人の一人がいたら、鼻高々です。
でも、全くの作り話です。
それでも、名作の赤穂浪士の銘々伝です。

どんなものを混ぜ込んでもいいですからね。
美味しければね。

日々の暮らしの中に、自分の分にあった幸せがあります。
ありがたい仏縁を得たと、感謝しております。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それを願うばかりです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事でありますようにと念じます。

最後まで、インディアンのようなパンチの利いた賄い飯の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。