''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

今夜、討ち入りますと、ご連絡もないままに より。

いよいよ、極月半ばの14日になりました。
個人的には、一日早く討ち入って、問題を起こしてしまいました。
ちょっと、もめ事になっています。
本当に、弱っています。

 

討ち入る方も、討ち入られる方も、大変です。
少しだけ気持ちが分かりました。

 

当然、討入ですから、今夜討ち入りますとの、ご連絡はありません。
いきなり、正門と裏門の2班で、討ち入ったことになります。
正門と裏門の間を、寺坂が伝令役となり、その2か所を行き来します。
その意味では、正門と裏門の情報を一番よく知っているのが、寺坂吉右衛門信行と言う事になります。

 

自分を除く46人の活躍をしている人物でもあると言う事です。
その意味では、生き証人として、弟大学殿にも、妻の瑤泉院殿にも、その様子を申し上げる使者として、生きるように密命を受けたように思えます。

 

そして、討入の元禄15年12月14日(1703年1月30日)から、2年間かけて任務を遂行したと察します。
もちろん、内蔵助の妻りくの元にも、行ったかもしれません。

 

当時の連絡方法と言えば、手紙です。
電話など無い時代ですからね。
人が持って行くわけです。
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今年の年賀状です。
うぐいす色でね50切手部分は、梅に鶯の図柄です。
年賀状もメールの普及により、減少傾向にあります。
この傾向は、防げないでしょう。

 

はがきや手紙には、独特の風情があります。
メールの顔文字や絵文字には無い雰囲気があります。
メールも便利です。
しかし、年賀状から見える雰囲気は、独特です。

 

手作り感のある年賀状も少なくなっています。
パソコンとプリンターに普及によって、印刷屋で作ったような高画質の物も出来ますからね。

 

先日、父親が来ていた時、頼まれていた年賀状を、その場で作ってもって帰らせました。
もちろん、図柄は父親が「これがいい」と、自分で決めた物です。
すでに郷里の父母が出す宛先は、私のパソコンに入力済みです。
ですから、30分ほどで両面印刷して、後はポストに投函するだけの状態で、引き渡しです。

 

毎年、こんな風にして、実家の年賀状は作成しています。
やはり、父母には便利がいいようです。11月の半ばには、今年も年賀状の依頼がやって来ました。

 

他にも、年賀状の依頼を受けています。
それも、今から作る予定です。

 

写真を取り入れたいとの、ご要望が入っています。
写真を取り込めば、すぐに印刷に入ります。
その当日に、受け渡し出来ます。

 

便利な世の中です。
その便利さと引き換えにも、何かを失っているのだと思います。
いいのか、悪いのか、それさえ私には、分かりません。
その不便さを楽しめれば、言う事無しです。

 

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁を得たと、感謝しております。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それを願うばかりです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事でありますようにと念じます。

 

最後まで、足軽でなく、お手軽の初春の知らせの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。