''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

岳父が、今朝早く永眠しました より。

今日は、朝早くからの電話から、始まりました。
岳父、つまり、嫁の父が、永眠しました。
土曜日に、見舞いに参りまして、ある程度の覚悟は出来ましたが、やはり、岳父が居なくなるのは、寂しいですね。

もちろん、朝から伊丹の病院で参りました。
私達が、病室に入った時は、静かに穏やかな顔で安らかになっておられました。
すでに、朝方容態が急変して、そのまま旅立たれたみたいです。

私が、岳父と最初にお会いしたのは、2年前の6月頃だったと思います。
すでに、嫁と結婚する事は決めていましたが、まずはと顔合わせをさせて貰いました。
ただ、岳父にはその旨は伝えていませんでしたが、もちろん、その心算で逢って頂きました。

これより後に、先に結婚式の式場の予約を10月に入れて、事後報告の形になるようにしていました。
その年の11月末に、私が嫁の実家に行って、岳父に挨拶をして、結婚の許しを頂いたようなわけです。

2月に大阪天満宮で結婚式に参列して頂いて、一応の形は何とかなったと思って居りました。
でも、この段階で岳父の姿が、私の知る一番の体調の時期でしたね。
ここから、下降線を示して、8月の入院を皮きりに、今日まで続いたようなものです。

その間には、入院前の7月に、私達夫婦に子供が授かり、二人して報告に行ったのが、昨日のように思われます。
子供が800g以下の超未熟児で11月に生まれましたが、この時も入院先に報告に行きましたよ。

あれから、愛娘のゆうゆうが、1歳になるのを前にして、黄泉に旅立った事になります。
もう少し、ゆうゆうが、物心つくまで、元気でいて貰いたかったですね。
残念で仕方ないです。

長く入院していた為、私としては、二人っきりになることが多く、たった2年と言う短い時間を過ごしましたが、その時間は濃密だったと自負しております。
大阪天満宮の式では、親子の固めの杯があります。
天神の神前で、親子の誓いをするわけです。

不出来な婿でしたが、嫌な顔せず、時間を過ごして貰った事は、掛け替えのない事です。
私にとっても、ありがたい時間だったと思います。

霊安室に横たわる父の顔を見て、一筋の涙が、頬を伝いました。
義兄が泣いていないので、私が泣きだす事は出来ませんが、義理とは言え、私も子の一人しては、悲しい気持ちですね。

ありがとうございました。
安らかにお眠り下さい。
嫁と愛娘のゆうゆうは、私がお守します。
至らぬ息子ですが、父が逝った事に変わりはありません。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

日々是好日です。
楽しい日もあります。
悲しい日もあります。
それでも、前に進むしかありません。

明日明後日の通夜と葬儀が、順調に進む事を念じるしかありません。
今日明日も明後日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、岳父の思い出話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。