それに比べると韓国の危機管理はいざ知らず、国民の危機感は、ほぼ皆無のような気がします。
すぐに戦争が再開されるかもしれないんですよ。
韓国の大統領選と言い、何かリズムが違いますね。
すぐに戦争が再開されるかもしれないんですよ。
韓国の大統領選と言い、何かリズムが違いますね。
他国の事は分かりませんが、日本に火の粉が飛び火するのは、明らかです。
穏やかに暮らしたいと念じても、なかなかそうもいかないのでしょう。
不安で仕方ないです。
そんなこと言いながら、杞憂であっても仕方ないですからね。
穏やかに暮らしたいと念じても、なかなかそうもいかないのでしょう。
不安で仕方ないです。
そんなこと言いながら、杞憂であっても仕方ないですからね。
東アジアの半島周辺は、今一番ホットな状況です。
ホットな状況と言えば、我が家の昨日のランチタイムですね。
嫁が、ホットサンドを作ってくれました。
中身は、ウィンナーソーセージと玉ねぎとシメジのケチャップソースベースの炒め物、それに具材の安定に使ったとろけるチーズです。
ホットな状況と言えば、我が家の昨日のランチタイムですね。
嫁が、ホットサンドを作ってくれました。
中身は、ウィンナーソーセージと玉ねぎとシメジのケチャップソースベースの炒め物、それに具材の安定に使ったとろけるチーズです。
もちろん、1歳児のゆうゆうのランチも兼ねています。
そう大人と同じものをカットして与えています。
私が、トースト2枚重ねのホットサンド1枚なら、ゆうゆうは、この四分一のクォーターです。
そう大人と同じものをカットして与えています。
私が、トースト2枚重ねのホットサンド1枚なら、ゆうゆうは、この四分一のクォーターです。
1歳児にしても、量が多いと思いましたが、完食でしたね。
最初は初めて食べるトーストに、いつものイヤイヤモード全開でした。
それを、私が口中に強引に押しこんでやります。
我が家のいつもの手ですよ。
最初は初めて食べるトーストに、いつものイヤイヤモード全開でした。
それを、私が口中に強引に押しこんでやります。
我が家のいつもの手ですよ。
強引ですが、最初だけです。
次からは、口を開けて求めますね。
次からは、口を開けて求めますね。
要するに食べず嫌いの様子です。
食べたことがないモノに対する拒絶反応が強いですね。
食べたことがないモノに対する拒絶反応が強いですね。
でも、私がまず食べているのを見せたから、食べされています。
そうすると、拒絶反応も少ないです。
それでも、一応イヤイヤモードから入りますよ。
そうすると、拒絶反応も少ないです。
それでも、一応イヤイヤモードから入りますよ。
「押すなよ。押すなよ」って感じのネタ振りのように感じますね。
ゆうゆうと二人でお花見していた時の、私の発泡酒のお供に食べていた伊藤ハムのポールウィンナーも、最初は、イヤイヤモードでしたが、口に強引に入れると、次も次もと口に開いておねだりしています。
ゆうゆうと二人でお花見していた時の、私の発泡酒のお供に食べていた伊藤ハムのポールウィンナーも、最初は、イヤイヤモードでしたが、口に強引に入れると、次も次もと口に開いておねだりしています。
この時期から好き嫌いがないと、今後の人生のプラスになります。
何としても、食べず嫌いはなくしてやりたいです。
どうしも嫌いなモノもありますよ。
それは仕方ないです。
何としても、食べず嫌いはなくしてやりたいです。
どうしも嫌いなモノもありますよ。
それは仕方ないです。
保育園でも、我が家で食べないモノが出ると、食べないみたいです。
ですから、保育園から頂いた給食メニューやおやつのメニューを見て、少し練習されやろうと思っています。
ですから、保育園から頂いた給食メニューやおやつのメニューを見て、少し練習されやろうと思っています。
若い頃読んだ、山田無門老師の『鶏は暁の五更に鳴く』(春秋社)の中に、「食べ物が人を育てた」と言うような一節があったように思います。
親が子を育てたと言うなら普通ですが、食べ物が人を育てたと言えば、間違いはありません。
親が子を育てたと言うなら普通ですが、食べ物が人を育てたと言えば、間違いはありません。
食事の頂きますは、「何かの命」を頂くわけです。
それは、人として持って生まれた業(ごう)ですね。
それは、人として持って生まれた業(ごう)ですね。
人は生きながら、罪を犯しているわけですよね。
肉は喰らわずとも、野菜は喰らいます。
肉を喰らうは、悪であって、野菜を喰らうのは、善ではないはずです。
肉は喰らわずとも、野菜は喰らいます。
肉を喰らうは、悪であって、野菜を喰らうのは、善ではないはずです。
罪の重さは関係ないですね。
桃太郎ではありませんが、悪も善も上下の隔てはありません。
桃太郎ではありませんが、悪も善も上下の隔てはありません。
生きると言うことを深く考えると、気持ちが沈みます。
日々生きるは、そうした事でしょう。
日々生きるは、そうした事でしょう。
日々感謝して暮らさせてもらっています。
平穏無事に過ごせますように、神仏に手を合わせて念じるしかありません。
ありがとさんです。
平穏無事に過ごせますように、神仏に手を合わせて念じるしかありません。
ありがとさんです。