''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

土筆(つくし)が採れました。「逢茶々遇飯々」編

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土筆(つくし)が採れました。

春のこの時期しか出逢えません。旬と言うことでしょう。「旬」とは、1ヶ月を上旬、中旬、下旬と3つに分けて言います。つまり、「旬」は10日を指す言葉です。作物の本当の旬も基本的には10日でしょうね。早生や仕舞いもありますけど、一番美味しくて値段も安い時期が「旬」と言えます。

10日毎に出会い、別れて、来年の旬の時期までしばしの別れでしょう。次の10日には違う食材に出会い、飽きた頃にまた違う食材の旬に出会う。これが1年巡り続けていくんでしょうね。すこし、感慨深いものがあります。だから、旬の間は食し続け、心残りがないように日々過ごす。充実した感があります。

数日前に土手で多くの人が土筆を採ってました。そんな理由で私も土筆をとった次第です。もう時期的に最後の方でした。これをどうしたかって?

もちろん食べました。

私はやっぱり「油炒め」が大好きです。頭の胞子がすこし青いのがいいですね。苦味がたまりません。子供の頃はバケツ一杯程と採りましたが、袴をとるのが大変です。手間がかかりますが、炒めれば一皿分ぐらいにしかなりません。あの苦味は、一生忘れることが出来ません。春の香りであり、春の味です。

私の好物の一つです。今年は仕舞い土筆の方でしたので味は「もうひとつ」でしたが春の味を堪能しました。「ごちそう様でした」

禅の言葉、禅語に
「逢茶々遇飯々」 (ちゃにあえばちゃ はんにあえばはん)と言うのがあります。

「酒に逢えば酒を飲み、菓子に遇えば菓子を喫す」さらに「喜びに逢えば笑い、悲しみに遇えば泣く」ということになる。人生の万縁万境に対処して、いささかの執着もなく、その時々の条件に無心に反応して自由無げに生きる禅者・道人の境涯を表現したものと解説されています。

難しいです。

しかし、季節を思い、旬を思い、食を思う。日々の生活そのものです。梅が咲けば梅を見て楽しみ、桜が咲けば桜を見て楽しむ。次から次にイベントが季節と共にやって来ます。

それを受け流さずに親身になって心から楽しむ。何かをしながらの「従」の作業でなく、「主」の作業として心に留める。

時間的なものでは有りません。1分でも5分でもいいんです。こころで季節を楽しむゆとりがあればいいと思うんです。

そんな生活は、楽しいでしょうね。それを心がけています。今しか出来ないことがあるはずです。

考えていたらだめですよ。お皿の土筆はなくなってしまいました。また、来年までの辛抱かそれとも今日も採りに行くのか、大きな苦悩となりました。

今日もいろいろなこと有りますが、寝る前に「今日もありがとさん」と感謝の言える心のゆとりを持ちたいです。