正月3日と言えば、少しはお節に飽きた頃ですよね。
私たちの世代では、テレビCMの「お節もいいけど、カレーもね」のフレーズが懐かしいです。
カレーとラーメンは、いつ食べても美味いものです。
日本の国民食と言っても過言ではないです。
正月だからお節料理を食べる、特別な御馳走でありましたからね。
それが、飽食の時代と言われると、正月でも特別なものでなく、普段の食生活がいいと言うのは、少し切ないです。
今年は、ネズミ年の干支で言うなら「子」です。
ネズミと言えば、少し嫌われ者です。
♪ドブネズミみたいに美しくなりたい 写真には写らない美しさがあるから
リンダリンダ リンダリンダリンダリンダリンダ リンダリンダリンダ~
ネズミと言えば、我が家の4歳児ゆうゆうが、突然THE BLUE HEARTSの『リンダリンダ』(作詞 甲本ヒロト 作曲 甲本ヒロト)を歌いだします。
インドの神様のガネーシャ神は、乗り物がネズミです。
こうなると、イメージも変わります。
ガネーシャ神様は、インドでも大人気の神様で、象の頭を持った神様ですね。
日本では、「夢をかなえるゾウ」の本で、少し知名度が上がった神様と聞きます。
それに対比して、いつも何かを恐れながら、せわしなく動き回るネズミは、私たちの心の象徴のようです。
象徴と言えば、仙厓 義梵 禅師の『大根鼠賛画』のネズミが寄り添う大根は、豊かな実りの象徴のようです。
出光カレンダーで頂き物です。
賛には、「ねすみ 大こくふ 福の神」と書かれているようです。
大こくは、大黒天様と同一視されて 豊穣の神様、大国主命のようです。
この大国主命が須佐之男命に攻撃された時、窮地を救たのが、ネズミさんのようで、豊穣の神のようです。
知らないことばかりですが、とりあえず、ゲンがいい『大根鼠賛画』です。
仙厓 義梵(せんがい ぎぼん、寛延3年(1750年)4月 - 天保8年10月7日(1837年11月4日))と言えば、江戸時代の臨済宗古月派の禅僧、画家として、禅味溢れる絵画で知られています。
素人の私が言えば、面白い絵が多いですよね。
でも、その中に、禅の高僧としての仏の世界が描かれていると思いたいです。
生国は美濃国で、11歳の頃に、清泰寺で臨済宗の僧となったようです。
その後、19歳に月船禅彗の門下に入り、32歳で印可を受けた後、旅に出ても39歳より博多の聖福寺の盤谷紹適の法嗣となられる。
本格的に絵を描き始めたのは40代後半になってからと見られているようで、仙厓の絵は、「博多の仙厓さん」と庶民から言われて人気があり、一筆を求める人が絶えなかった聞きます。
その象徴的な姿を歌に残されています。
「うらめしや わがかくれ家は雪隠か 来る人ごとに紙おいてゆく」
一筆求めて、人が手に紙をもって、押し押せて来るので、雪隠(トイレ)じゃないよって、くすりと笑いが起こります。
無料で描くからですよ。
お布施をしてくれた方にだけに描けばいいのに、人の区別することなく、紙を持ってきたら、描いてしまいます。
今時で言うなら、売れっ子の芸人さんみたいですよ。
挙句の果てに、箸袋にサインしてくれと言う始末です。
でも、あの明石家さんま師匠は、昔の書いた箸袋のサインを大事にお守り代わりに、肌身離さずに持ってくれたファンに出会って、感動したと聞きます。
こうなると、仙厓さんも同じだったのかもしれません。
人も、身なりだけでは、その方の本当の姿は、分からないものです。
先代の名人京山幸枝若の浪曲の『竹の水仙』の最後のところで、左甚五郎が、宿の主に、客は身なりで判断しないで貰いたいというセリフを思い出します。
それにしても、左甚五郎の身なりは、さぞ凄かったでしょう。
宿の女将さんが、「伊勢音頭」って揶揄して言ってましたからね。
今年の子年も、一年穏やかな日々が続てい貰いたいです。
2020年は、メインは、オリンピックですから、平和の祭典の象徴として、国際社会が平和であってもらいたいです。
今年もいい年でありますように。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。