''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

我が家のキッチン 銅製の鍋の加入です より。 

この週末も不要の外出は控えています。 

もう少しで出口が見えそうだと気が緩むのが怖いです。 

 

今朝の毎日新聞の日曜版の記事の中、私の好きな「書の美」(島谷弘幸)の記事に目をやりました。 

今日は、重要文化財 後花園天皇筆の「融通念仏縁起巻上詞書」(京都・禅林寺蔵)でした。 

 

禅林寺(ぜんりんじ)は、京都市左京区にある浄土宗西山禅林寺派総本山の寺院で、通称の永観堂(えいかんどう)の名で知られていますね 

紅葉の名所として知られ、古くより「秋はもみじの永観堂と言えばご存じの京都通の方も多いはずです。 

 

私は伏見に28年近く住まいしてましたから私の中で紅葉の名所と言えば、東山の東福寺です。 

鬼平犯科帳」のエンディングに流れるジプシーキングの音楽と共に、映像として流れる紅葉の名所です。 

 

禅の世界では、東山水上行(とうざんすいじょうこう)と言えば、「東山へは舟で行さ」となりますね。 

一人の修行僧が「如何なるか是れ諸仏出身の処(「まことの禅者の人生に処する処し方如何」)と言う問いの対して雲門文堰(ぶんえん)禅師(864~948)は東山水上行」(東山へは舟で行さ」)と答えた。 

 

東山とは京都の東山ではなく、湖北省にある馮茂山の別名。  

山と言うのは泰然として動かざるものであるが、川の流れは一瞬としてとどまる事のない流れの動くもののでする。 

その対比でしょうね。 

 

私なら、東山には、京阪電車で参りますよ。(ねぇ、おけいはん!!) 

それとも、JRの奈良線東福寺で下車しますかね。 

なかなか融通が利きません。(ここしか笑うと来ないですよ。ねぇ、とおるちゃん!!) 

 

重要文化財 後花園天皇筆の「融通念仏縁起巻上詞書」は、金銀泥で、蝶や鳥、そして草花の下絵を描いた料紙に描かれているようです。 

和歌が添えられています。 

 

極楽へゆかむとおもふ心にて 南無阿弥陀仏といふ三心 

 

同様の和歌に、「極楽にまいらむとおもふこころにて 南無阿弥陀仏といふぞ三心」や極楽にむまれんとおもふ心にて 南無阿弥陀仏といふぞ三心」と言うのがありますね。玉葉集) 

 

後花園天皇(1419~1470年)は、伏見宮貞成(さだふさ)親王後崇光院)の第1王子として生まれ、正長元(1428)年に数え年10歳で践祚(せんそ)されて以来、36年という長い在位であった聞きます 

 

践祚(せんそ)は、天子の位を受け継ぐことであり、それは先帝の崩御あるいは譲位によって行われることです 

古くは「践阼」と書き、「践」とは位に就くこと、「阼」は天子の位を意味する解説にあります。 

令和の御代も上皇様から今上天皇に譲位によって、践祚(せんそ)されたと言う事になります。 

 

日本語は、特別な時にしか使わない言葉がありますね。 

日本の歴史は、建前上2000年以上と言う事になりますからね。 

 

金銀と言えば、今年開催の東京オリンピックが来年に延期されましたが、金銀銅と言えば、メダルの色ですね。 

金はゴールド、銀はシルバー、銅は?  

銅は、コッパーやカッパーと言われます。 

 

(どう)は原子番号29の元素で、元素記号は Cu。 

英語でcopper、ラテン語でcuprumと言うようですから、ラテン語由来の元素記号は Cuなんですね。 

 

ソニースマホでも、銅色のカッパーもありますよ。 

私は、ソニーのパープルが好きですが、銅色のカッパーも好きですよ。 

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我が家にも、銅製の鍋があります。 

2種類の銅製の鍋を加入させました。 

 

童謡の中にも、金の斧、銀の斧の話がありますね。 

私的には、ドラえもんの、ジャイアンのいい子のジャイアンの話が、頭から離れません。 

泉に入ったジャイアンが、いい子のジャイアンになって出て来た後から、おぼれている本当のジャイアンのアニメが、頭から離れませんね。 

 

仏の顔も三度までですよ。 

神仏に偽りは通じませんよ。 

あくまでも、手段としての方便なら、許してもらえそうです。 

 

銅製の鍋を使ったからと言って、急に料理は上達しませんよ。 

日々の練習、鍛錬です。 

仏の世界でも、最終目的地、長安に行く近道も楽な手段もありません。 

一歩一歩、歩むだけです。 

家の前の道が、長安に通じています。 

恁麼の道あらずと言わないでよ。 

 

ある僧が趙州禅師に「 如何 なるか 是 道 」(道とはいかなるものですか)と問うたところ、禅師はすかさず「 墻下底 (しょうげてい)(道か道なら垣根の外にあるさ)と答えました言います 

僧が「 恁麼 (いんも)の道を問わず、如何なるか是大道」(私はそんな垣根の外にあるようなそんな道でははく、天下の大道を尋ねているのです)と問い直すと、禅師は「大道透長安(大道、長安に透る)とずばりと答えたと言うのですね。 

私ならどうよって、なりますね。(ここしか笑うところないですよ。ねぇ、とおるちゃん!!) 

 

どうもこうもありません。 

銅から始まる長い「道」の話でした。 

緑青吹いていませんかね。 

 

我が家の食事も料理道ですよ。 

禅の世界でも、料理を作るのは、典座(てんぞ)と言われる大事な仕事です。 

日々精進するしかありません。 

 

親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。   

ありがたいことです。 

 

ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。   

ありがたいことです。   

   

日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。   

神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。   

ありがたいと感謝です。   

   

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