朝から雨です。
昨晩から雨が降っていたので、外には出かけられないです。
4歳児ゆうゆうと、家で過ごしています。
外出自粛が続く中、出口の光明は見えて来ました。
とは言え、市中には、コロナウイルスが蔓延しています。
ある程度の抗体持っている方も多いはずです。
抗体があっても、第二波の感染拡大もあり得ます。
とりあえず、不要な外出は控えたいです。
家で過ごすと言えば、昼ごはん問題はあります。
4歳児ゆうゆうが居ますので、味の濃いものは、外しています。
そんな中、冷蔵庫と相談して、ベーコンを使った焼うどんを作りました。
映えするように、目玉焼きを乗せています。
ベーコンとキャベツは相性がいいです。
それに賞味期間の近い但馬屋のソーセージも、一緒に炒めています。
味付けはと言えば、焼き肉のタレで、味を付けた焼うどんです。
なかなかどうして、美味いです。
先日の鉄板焼きでは、4歳児ゆうゆうは、大人のと同じ枚数のお肉を食べていました。
その上で、郷里播州から送って貰った玉ねぎを鉄板で焼いたのを、皿に乗せてやると、幾度もお替りしました。
確かに鉄板焼きでは、玉ねぎは美味いです。
カボチャも焼きました。
こちらも、美味いです。
その残りの焼き肉のタレを使って、焼うどんを作りました。
醤油味も美味いし、ソース味も美味いです。
たまに、焼き肉のタレの味も、悪くないです。
残り物も上手に使います。
もちろん、4歳児ゆうゆうも、ぺろりと一皿食べて完食して、まだご飯を食べていました。
食べ好きです。
おデブにはさせませんよ。
でも、食が細いのよりは、よく食べてくれるのはありがたいです。
食事は、基本何でも大人と同じものを食べさせています。
基本と言うのは、例えば、たたき胡瓜のような辛いモノは、食べさせません。
気温が高くなってきて、辛いものを体が欲します。
ナイロン袋に、カットした胡瓜を入れて、塩して、粉末中華出汁を加えて、豆板醤を入れて、最後にごま油を入れて、袋の上からモミモミです。
庖丁の背で、軽く胡瓜を叩きます。
そして、少し時間を置けば、完成です。
簡単ですが、ビールのお供と、ごはんのお供にはいいです。
叩くと言えば、三遊亭圓窓さんの落語「叩き蟹」が思い出されます。
場所は、江戸の日本橋のたもとに黄金餅という名物を売っている餅屋。
どこかの子供 が餅を盗もうとして主に捕まり、これから折檻を受けるはめになって、店先は人の黒たかりです。
ここから、助けに入った一人の男から、話は始まります。
子供の話によると、父親は大工だが仕事場で怪我をして、毒が入って身体が動かなくなってしまい、母親は産後の肥立ちが悪く寝たきりになりと言う。その男が、団子10皿を買い受けるが、金がないので、木製の蟹を担保にして、お代の100文の方にします。
こんなもん担保にしても仕方ないと、腹いせにキセルで蟹を叩くと、蟹が横に歩くという不思議な細工のある蟹でした。
その叩き蟹が評判になって、黄金餅もよく売れると言った有様。
数年して、この男が店に立ち寄って、主人を諭す。
情けは人のためならず と諭すその男は、名人・左甚五郎でした。
左甚五郎の晩年の様子ながら、圓窓さんの穏やかな左甚五郎の言葉は、心にしみますね。
情けは人の為ならず、まわりまわって自分にも返ってくると言う意味ですよね。
逆の意味に囚われやすい言葉ながら、叩き蟹という落語を通して、人情の機微を感じます。
竹の水仙とも、三井の大黒とも、全く別物の名人・左甚五郎の名作の落語でしたね。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。