''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

大好物の赤ナマコで、晩酌タイムを過す より。

朝から寒いです。
それでも、午前中に2才児ゆうゆうと1.5km程散歩して来ました。
土日は、天気が悪くなければ、娘と散歩をするように心がけています。
まだまだ、ヨチヨチ歩きです。

 

何も言わずに、黙々と歩き続けます。
このまま向かうは、長安ならありがたいです。
この道も、きっと長安に繋がっているはずです。
もちろん、物理的な話でなく、禅の話です。

 

禅の言葉、禅語に「大道透長安 」〈趙州録〉と言うのがあります。
ある一人の僧が、趙州和尚に問います。
「いったい仏の道とは、どういうものですか?」
趙州和尚が、それに答えます。
「道なら、垣根の外にある」
僧が言います。
「その道の事を問っているではありません。人としての踏み行う大道について問ています」
そして、無造作に言ったのが、「大道、長安に透る」(だいどうちょうあんにとおる)ですね。

 

その趙州和尚も若い頃、師の南泉普願に、「道とはどうなものですか?」と尋ねて、師の言われたのが「平常心是道」だと聞きます。
禅では、「平常心是道」(びょうじょうしんこれどう)と言うようです。
平常心は、「へいじょうしん」とは読まずに、「びょうじょうしん」と読みようです。
「へいじょうしん」と「びょうじょうしん」は違いますよね。
「へいじょうしん」とは「いつものよう」に落ち着かせる言葉です。

 

「びょうじょうしん」とは、私は作為がないと意味に捉えています。
作為しないと言うのは、「何もしない」と言うのでなく、「無造作」という意味は深いと思いますね。
修練の上に、修練を積み重ねて、その境地に達するのでしょう。
私のような未熟な者に、遠い遠い彼方の話です。
でも、その道には近づきたいです。

 

その道は、特急列車に乗って行けるモノではありませんし、楽な道はないと思っています。
心の拠り所にした道へのアプローチを考えています。

 

難しい話は横に置いて、酒道の道なら、日々の鍛錬はしております。
酒道と言っても、そちらの衆道とは違います。
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昨晩の晩酌の肴です。
私の大好物の赤ナマコです。

 

ナマコは、青より赤の方が、値段も高いし、美味いと心得ています。
ナマコのコリコリした食感と味わいが深いです。
タレは、ポン酢です。
そこに紅葉おろしと、一味をフリフリです。

 

やはり、美味いです。
箸置きにあるのは、招き猫ですね。
福を招く招き猫ですよ。

 

今年は戌年(犬年)でしたが、猫も本来は干支の入るはずだったのですが、とある策略で水疱に期したと聞きます。
人の恨みと、食べ物の恨みは、怖いです。
クワバラ、クワバラ、桑原和男ですね。(ここしか笑うとこないです。ねぇ、とおるちゃん!!)

 

熱燗が進みます。
美味いです。
ナマコの姿を見て、最初に食べた先人は凄いですね。
食べ方や料理の仕方を発見した方も凄いです。
先達に感謝です。

 

日々心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
親子三人のささやかな暮らしに感謝しております。
ありがとさんです。