先日の『小川の辺』を娘と二人で観た記事を書きました。
娘と言っても、小学校2年生の7歳児です。
ちょっと話も難しかったですが、イケメンが多かったので、それなりに満足してくれました。
私と同様に、時代劇が好きなんです。
映画を観ている時は、私に話しかけたりしません。
自分の世界に入っているみたいです。
殺陣も好きです。
そんな娘のいない合間を見つけて、今度は独りで『散れ椿』(2018年)を観ました。
監督は、木村大作氏です。
そう、キャメラマンの木村氏です。
ですから、監督と撮影の二刀流での映画です。
日本を代表する映画監督の撮影を担当したと言う変わりダネの監督さんです。
流石に映像は、綺麗ですね。
映画となると、いろいろと評価の別れる所ですが、キャストがこれまた良いですね。
主役・岡田准一さん、西島秀俊さん、黒田華さん、池松壮亮さん、芳根京子さん、奥田瑛二さん、富司純子さん、石橋蓮司さん、良い役者さんが揃います。
岡田准一さんの殺陣も、キレキレでいいですね。
富司純子さんの円熟した演技も良かったです。
脚本は、映画監督してしても評価の高い小泉 堯史(こいずみ たかし)氏です。
まあだだよ(1993年 助監督。 監督:黒澤明)、雨あがる(2000年 監督)、阿弥陀堂だより(2002年 監督 / 脚本)、博士の愛した数式(2006年 監督)、記憶に残る映画です。
黒沢組のスタッフが多いとも聞きます。
木村監督の黒沢映画の系譜なんでしょうね。
小泉監督作品の『雨あがる』は、私の好き時代劇の映画です。
今回の映画にも通じる夫婦愛が好きなのかもしれません。
剣が強くても、藩と言う組織の中では、武士としては生きにくいモノです。
今回の映画の中で、坂下藤吾役の 池松壮亮さんの成長していくところが、何とも言えずに良かったですね。
映画の中でも主役の瓜生新兵衛役の 岡田准一さんが、義弟役の池松さんを褒めるシーンがありますが、映画の後半では、役の上でも役者の上でも、いいキーマンとなったと思います。
ただ、時代考証に違和感がありますね。
1つ目は、若き新藩主が国入りするのに、藩主が数騎のお供を従って、国入りはしませんよ。
これじゃ、鷹狩でもあんな身軽に外出はしませんからね。
石高の基づいて、大名行列で国入りすると思われます。
小藩なのか、幹部と言えば、数人の者で藩政を行うのも不思議です。
家老も、城代家老1人ではないでしょう。
小藩とは言え、家老は国元の3名以上、江戸家老に1~2名居るでしょう。
2つ目は、田中屋惣兵衛は和紙の独占の見返りに、城代家老の石田に多額の賄賂を渡していたとしても、城代家老が署名入りの『起請文』を渡すことなどないと思います。
3つ目は、脱藩した主役の瓜生新兵衛(岡田准一)に藩からの追手の刺客をどれだけ向けるのかって言うくらいに、追手がやられます。
家老1人の独断で、藩士が怪我を負ったり刺殺されるのですから、小藩なら大問題になるはずです。
4つ目は、主役の瓜生新兵衛(岡田准一)と側用人の榊原采女( 西島秀俊)の剣を交えるシーンの日本刀の音がペラペラに感じましたね。
日本刀が薄っぺらい模造刀の形でしたし、入れた音もあんな音ではないと違和感のシーンで、そもそも剣を交える意味がよく分かりませんでしたね。
散り椿の前での演出でしょうが、いい殺陣のシーンでしたが、リアリティーがなかったです。
それに、余談ですか、家の格式と役職に違和感を覚えましたね。
原作の葉室麟さんの原作でもそこは、映画として映像として見せる以上、もう少し修正もできたように感じます。
藩士が脱藩すれば、どんな暮らしになるのか、現実感が変わりにくかったような気もします。
まあ、時代考証などを細かい事を除いて、純粋に時代劇の映画と言うなら、十分楽しめました。
やはり、映像の綺麗さは、評価の高い作品だと思いますね。
時代劇は、日本のお家芸です。
やはり、多くのいい映画を後世に残して貰いたいです。
この間の『小川の辺り』といい、十分楽しめたと、ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。