総索引https://kantoshoue.hatenablog.com/entry/35343705
善応院(ぜんおういん)
父は荒尾善次。母は荒尾空善の娘。実名は不明。
兄弟に荒尾善久、荒尾成房、荒尾隆重。
成房と隆重はのちに善応院の次男である池田輝政に仕えた。
いつごろかは不明であるが、織田信長の異母兄弟である織田信時の室となる。
このとき七条(飯尾敏成正室、のちの下間頼龍正室)をもうけた。
その後、信時が自害した際に信長の命により池田恒興と再婚し、恒興の正室となった。
池田元助、池田輝政、池田長吉、池田長政の4人の男子をもうけている。
娘 七条
兄弟
荒尾 成房(あらお なりふさ)
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、輝政が播磨姫路52万石の領主となると、龍野城代となり1万石の知行を賜る。
寛永2年(1625年)、隠居して嫡男・成利に家督を譲り、隠居料として3000石を賜る。
次男・嵩就は叔父隆重の養子となり、子孫は倉吉領主、鳥取藩家老を務めた。
三男・三正は和田家を相続した。