''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

内蔵助の母方親族 善応院 恒興の正室

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赤穂藩 筆頭家老 大石内蔵助良雄 血縁関係 の「け」 

 

善応院(ぜんおういん)

? - 慶長9年6月29日1604年7月25日

父は荒尾善次母は荒尾空善の娘。実名は不明。

兄弟に荒尾善久、荒尾成房、荒尾隆重。

成房と隆重はのちに善応院の次男である池田輝政に仕えた。

 

いつごろかは不明であるが、織田信長の異母兄弟である織田信時の室となる

このとき七条飯尾敏成正室、のちの下間頼龍正室)をもうけた。

その後、信時が自害した際に信長の命により池田恒興と再婚し、恒興の正室となった

 

池田元助池田輝政池田長吉池田長政の4人の男子をもうけている

娘 七条 

 

兄弟

荒尾 成房(あらお なりふさ)

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、輝政が播磨姫路52万石の領主となると、龍野城代となり1万石の知行を賜る。

寛永2年(1625年)、隠居して嫡男・成利家督を譲り、隠居料として3000石を賜る。

寛永7年(1630年)、死去。

成利は藩主池田氏外戚として米子城代、鳥取藩家老を務めた。

次男・嵩就は叔父隆重の養子となり、子孫は倉吉領主、鳥取藩家老を務めた。

三男・三正は和田家を相続した。

四男・久成江戸幕府に仕え旗本となった。

久成の四男は、水戸藩家老である藤井徳昭

 

ウィキペディアWikipedia)』参照