''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

東京のバナナより銀座のイチゴ

お盆の帰省が少しづつ始まっています。
郷里帰るときのお土産の特集がテレビでやっていました。
京都の土産は、和菓子や漬物が多いですね。
イメージですからね。

先日、仕事場のNゼネラル支配人が東京に出張です。
その土産に紅一点のM女のリクエストで何やら希望が託されたようです。
東京ばな奈の取り扱いのお品であったようです。
イメージ 1

その関係で、東京土産は東京ばな奈と[「銀座のいちごケーキ」です。]、です。
ネーミングが[「銀座のいちごケーキ」です。]と言うところまで商品名です。

苺のつぶつぶカスタードとプレーンのカスタードの、2種類のクリームをスポンジケーキがしっとり包み込んでいます。
苺の香りがいいですね。

甘い香りと甘い味わいに、うっとりです。
さわやかで高貴な香りですね。
苺好きにはたまりません。

でも、どうして苺やバナナが東京土産なのか?
不思議ですね。

東京土産と言われてもピンと来ませんね。
でも美味しければ、郷里に帰ったときの話のネタになれば、盛り上がりますからね。

京都の土産というとおたべや夕子など生八橋ですね。
諸説ありますが、やはり八橋検校の名前に由来しているように思われます。

八橋検校は、江戸の前半期、寛永年間(1624年-1644年)頃に活躍されています。
楽家です。箏の名手です。三味線や胡弓の名手とも聞きます。

お正月や高級料理屋さんの箏のイメージの曲、六段の調べは、この方の作曲です。
箏の形をイメージした焼き菓子が八橋です。
今では焼いた硬いのでないやわらかい生八橋がよく売れています。

ニッキ(シナモン)の味ですね。
最近は、真っ黒なごまやピンクの苺味もあります。
何がなんだか分かりません。

検校とは、盲官の最高位です。
勝新座頭市の座頭も盲官の一つです。
座頭市の場合は、金銭を上納して位を得るわけですね。

盲官には、詳しくは73もの位があるようです。
最低位から順次位階を踏んで検校になるまでには総じて719両が必要であったという。
検校にも10の位があり、その最高位の検校は15万石大名と同等の格式が与えられていたとも記載されています。(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』参照)

日本は古来から、こうした体が不自由な方にも社会的地位が確立されています。
江戸時代までの日本は、弱者にも光の当る社会でもあったわけです。
しかし、外国ではこうしたシステムさえありません。

18世紀初頭の江戸は100万人都市でからね。
世界一です。
ロンドンの85万人を抜いています。

こんな島国のこんな一都市が世界一です。
文化的にも熟成していた社会でした。

今流行のエコもリサイクルも老人介護もすべて町単位で問題をクリアーしていました。
誇れる都市であり、誇れるシステムです。

子供の頃、ジュースの瓶は、お店に持っていくと返金してくれました。
まとめて持っていくとちょっとした子供の小遣いになりました。
しょうゆもソースの瓶も再利用、つまりリーユースの時代でした。

買い物も主婦は買い物籠を持っていました。
サザエさんなんかにその名残のシーンがありますね。

昭和50年頃の初めまであったシステムです。
日本経済の高度成長からバブルの時代と、経済の成長とともに社会のシステムが脆弱になった気がします。

悲しいことのように思えます。
どうなる日本と不安がよぎります。

そんな中、人と自然の距離感が違うように感じます。
エアコンの効き過ぎた部屋で、冷え切った飲み物に体調を崩していきます。
窓開けて過ごせる社会も必要です。

木々を植えるのも大切です。
自宅に木々を植える場所もないそれが今の社会ですね。

便利さとともに置いてきた物があるように感じます。
このお盆の帰省で、一昔前の昭和を感じれたら、幸せですね。

子供のときの昭和が懐かしい世代になって来ました。
夏は暑いもの、冬は寒いもの、それが季節でしたし、自然だったように感じます。

窓を開けて入ってきた気持ちよい風に癒されます。
ささやかな幸せを感じます。
ありがたいとほっとした気持ちです。

大雨が続いています。
こうなれば夏の日差しがすこし恋しいです。
晴れますように、適度に晴れますように、祈りたいです。

最後までお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。