''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

トマたまから何が見えます。

小学1年生の「こくご」の時間、最初のページを開けると数行の詩のようなものが書いてありました。

やまがみえます。
かわがまえます。
まちがみえます。

これが最初のこくごの始まりです。
確かすべてひらがなであったような気がします。

30数年いや、40年に近い歳月の記憶です。
漢字も混じっていたのかもしれません。
人生最初のこくごの時間でした。

1時間目であったような気もします。
私の席は、窓側から2列目の後ろから2番目です。
後ろの彼は、後に皆さんご存知の大変有名人の父親になろうとは思いません。

遠い遠い記憶です。
はっきりしています。
人生最初の記憶は、1歳と数ヶ月という記憶です。

はっきりと覚えています。
子供の頃から記憶力は良かった方です。

子供の頃、今では考えられないことがありましたよね。
予防接種は、注射針の使い回しが極普通でした。
今では、ヤバヤバの感染症ですからね。

衛生管理もひどかったと思います。
それでも風邪をひいたと言えば、注射です。
熱が出たと言えば、注射です。

今、病院で注射としもらうというと、病状が大変ひどくなった時です。
それも、医療行為ということで、医師が注射します。

手が震えている若い先生に、こっちが「結構です」と言いそうになります。
昔の看護婦さんは、注射もうまかったですね。
傷みを感じないというか、あっという間終わった感じがありました。

インフルエンザなどの予防接種、集団で受けたものです。
その時、問診表にその朝の体温や体調、それにアレルギーの有無を記入しました。

今ほどアレルギーという言葉が日常的ではなかったです。
たまご、牛乳、そばと言うくらいが大抵でしたからね。
私はどれにも当たらず、アレルギーという言葉とは、幸い縁がなかったです。
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今、カップ麺の表示にもアレルギーの表示が大きく記載されています。
それほどにアレルギーの問題、食の問題が日常化しています。
口に入れるものですから、じわじわと体に影響が生じます。

子供の頃、高度経済成長の犠牲となった部分が多くありました。
光化学スモックといっては、外出が禁止されたりと、正しく公害という問題が多かったです。

しかし、今では魚の住める川も増え、自然に戻りつつあります。
ありがたいことです。

食に関して、一度利益の大きい薬品を使ってしまえば、どんなに規制がかかろうと食の偽装はなくなりません。
大手、大看板の老舗であっても、食の偽装はなくなりません。

人の問題です。
人間の愚かさが、人の命より会社の利益を優先させます。

自分たちが取れる対策は、よく知るということです。
よく知って、買わないということです。
これしかありません。

購入者の希望が、企業の死活にかかります。
小さい一歩でずか、日々の積み重ねです。
インスタン食品が悪いと言うのではありません。
農作物でも同じです。

見場がよいのがいいのか、そうでないのかと言うことです。
曲がったきゅうりも刻めば同じです。
安全な商品供給を日々の生活の中で、実行できればいいと感じます。
なかなか便利さに負けて、実践することも儘なりません。

言うは簡単、実行するのが難しいのは、仏法の教えと同じです。

日々穏やかな過ごせることが、何より幸せです。
健康も、病気にならないとありがたいと思いません。
今日も穏やかに過ごせるように祈ります。

忘れていました。トマたまの感想です。
書き記すには及ばない味でした。
今日のタイトル忘れてください。
今は亡きあの芸人さんの「蛇は鳴くよ」と同じでしたね。

最後までお付き合い下さいまして、ありがとさんです。