''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

直江山城守の雁の心とは。

日曜の大河ドラマ天地人』は、放送されているようですね。
話の方は、領地が4分の1に減ったとはいえ、徳川に敵対する上杉として家名を残せたのは、さすが兼続殿ですね。

 

あれだけ、直江状と呼ばれる喧嘩のタンカを切った名文を書いた本人にも関わらずであります。
(現存する写しは、後世の書き加えもあり、オリジナルとはないと意見もあります)
一説には、関ヶ原の天下分け目の合戦を引き起こした原因とも言えます。

 

内府(内大臣)、徳川家康に喧嘩を仕掛けた天下の名将です。
その政治家としての信念は、すごいと言わざるを得ません。
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               (『直江兼続 宿敵・家康も惚れた名軍師』 中村晃著 PHP文庫)

 

私は、戦国の武将・軍師としての兼続ではなく、政治家として兼続でなく、知識人・教養人としての兼続が好きです。

 

漢詩が得意であったと聞きます。
また、もちろん茶の湯の心得もありました。
利休との交わりも当然会ったことでしょう。

 

2月28日、利休の死にも強く影響したことと感じます。
翌3月、細川幽斎の屋敷で、漢和連句会が行われました。
その時、利休の死を巡って、思うところが述べられたようです。
あえて漢詩の得意な兼続は、漢詩を作らず、句を述べたようです。

 

花の後(のち)帰るを雁(かり)の心かな

 

何とも風情のあり、それでいて物悲しい雰囲気を醸し出しています。
さすが知識人、教養がほとばしります。
短い言葉の中に、その思いが伝わる名句です。

 

幽斎が兼続に対して、この句を漢詩ならどう表現されるかという問いに

 

春雁(しゅんがん)吾に似て吾雁に似たり
落陽城裏(らくようじょうり)、花に背(そむ)いて帰る

 

一番有名な兼続の漢詩です。
前二句はありません。

 

春になると北国に帰らなければならない渡り鳥の惜別の悲しみが感じられます。
利休の死を花に例え、その気持ちを雁の心に託します。
短いながら、覚えやす漢詩の一節です。
知識人の名作です。

 

利休の美は、「日常的なものの中における発見の美である」と著者中村晃氏は述べられておられます。
また、「それを求める心さえあれば、どこでも発見し得る有であった。(中略) それを心づけ見ることこそ、茶の心である」とも持論を続けられています。

 

その上で、兼続にとっては、「無の中で有を求める心」と解されて、「これは美というよりは、自分の境地である。それを求める心がなければ、見れども見えず、聞けども聞こえずである」と結論づけられています。

 

道端に咲いている花を、美しいと思える心は、その目線を自分が下げないと見えない美です。
その見えない美を多くでも感じられる心が、茶の美にも通じているように感じます。
日常の生活の中で、「よかった」を探せることは、すなわち「幸せ」であり、茶の湯の心にも、仏法の世界にも通じる「絶対観と相対観」のものの捉え方であったと感じます。

 

少しだけ自分の目線を下げるそこには幸せがいっぱいあるはずです。
どんな苦境の状況あろうと。

 

世情いろいろと大変です。
不ケーキという菓子が、あちらこちにも落ちています。
「なら甘いか甘くないか? 食ってやろう」と冗談めかしに言うくらいの気持ちは必要です。

 

どんな状況にあっても、よかったは見つけられます。
最悪はありません。
もし、今最悪なら、それ以上の最悪はないのですから、ラッキーです。
心の持ちようで、幾らでも気分を変えられます。
どんなことにも限界はあります。
気持ちの持ちようで変えられないこともあるのも事実です。

 

今あることに感謝して、生かされていると感じることこそが幸せです。
今日も穏やかに一日が送れますように祈るばかりです。

 

最後まで、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。