''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

イケメン、美男子、それとも男前?

私のブログで男前というと、isokoさんです。
男前です。
女性の方ですが、性格が男前です。
よー男前といいそうになります。

 

今時の男前、いえその言い方がいけてないですね。
美男子、それも流行りでないかもね。
イケメンでしょうかね。

 

とりあえず、美形もしくカッコいい系です。
今日は江戸時代の男前の話です。

 

時代劇を見ていると不思議なことが多いです。
史実とは別に、時代考証が変なものが多いです。
奉行の役人にしても、辺ですよね。
与力と同心、この違いが判る方はなかなかのツウですよね。

 

普通の方は、役職の違い程度で、与力は上役で、同心は下役ぐらいでしょうね。
しかし、本当は大きな開きがあります。
与力は、キャリア(国家上級職)、同心はノンキャリアの違いではありません。
与力は、200石前後、同心は30俵です。

 

与力は、領地を持つ殿様です。
石高から言えば、旗本です。
しかし、仕事の性格上、旗本の席には並びません。
与力の200石というのも、大きな関係があります。

 

200石というと戦場に馬で騎乗が許される身分です。
ですから、与力というと何騎(き)と呼ばれることがあります。
収入も、いろいろな付け届けがありますので、実質は1000石以上所得があると聞きます。
現金での所得も多いですからね。

 

裃を着けて、家来、供を何人も伴って出仕します。
白州にあっては、奉行変わりに吟味も判決も下します。
いろいろな与力がおります。

 

町奉行は、ご存知、北と南の二つ、一時だけ中町奉行との三奉行体制もありました。
町奉行は、警察だけではありません。
警察も裁判も町の政治もあらゆる統治機構に関係しています。
今で言う、裁判所、東京都庁、警視庁の当りますでしょうかね。

 

それらを各奉行所25人の与力が担当します。
一代限りのお役のはずですが、実質は世襲です。

 

出世もしません。
(江戸)町奉行においては、筆頭与力が、出世しても奉行にはなりません。
与力は、与力です。(例外はあります)

 

元服して14歳くらいになると父親の世習いとして、出仕すると聞きます。
つまり、芸事と同じで代々若いときから、実務に精通したエキスパートということになります。
数人単位の仕事にも、すばやく対応出来たのもこうした蔭の苦労があります。
地味な仕事だと思います。

 

NHK土曜時代劇『オトコマエ!2』のように、それが突然、養子で与力を仰せつかることもないですし、町方からの養子もなかなかありえないですね。
御家人株を、裕福な町人が買うことはあります。

 

勝海舟の家もともとは、町人の家柄です。
祖父の代に、御家人株を買って、勝家の侍となります。
借金だけらの武士ですからね。

 

藤堂逸馬役の福士誠治さん、なかなかハマリ役だと思います。
しかし、今言ったように、与力は文官として仕事が大半です。
捕り物に行くのは、同心です。

 

刀を抜くような危険な任務には、付いていないように思います。
単身で街中を徘徊することもありません。
与力の家も小さすぎます。
同心とあまり代わりがないように感じます。

 

同じNHKの『御宿かわせみ』の東吾の兄、吟味方与力、神林通之進(草刈正雄)の方が現実的でもありますね。
ドラマですから、多少の演出もありますが、どうも気になって仕方がないですね。
「バカばっかし」ですね。

 

多少のことには、目をつむりましょう。
大事件も頻繁にも起こりません。
当時の江戸は、今よりずっとずっと治安のいい町でしたからね。

 

それが一転、あれです。
今月のサブサイトルは「赤穂浪士」、吉良家の討ち入りです。

 

町中がひっくり返りそうな事件です。
それも美談しての話に、武士も町人もやんやの喝采です。
♪いつものように幕が開き~

 

喝采違いでしたね。
懐かしい昭和の名曲です。
しかし、この曲を聴くとコロッケの顔が、ちらつくのはいけませんね。

 

本懐の後、浅野家の菩提寺泉岳寺に向かいます。
隊列を作って、旧浅野の家臣しての行動だと示します。
吉良様の首は、別に船で運んでいます。
上杉の追手を気遣ってのことですね。

 

泉岳寺では、吉良上野介の首を、内匠頭の墓前に供えました。
まずは、内蔵助が墓前に報告します。
最初の焼香は、一番鑓(やり)の間十次郎(はざまじゅうじろう)が、二番目には武林唯七、三番目が内蔵助と続きます。

 

墓前に報告の後に、大石親子以下、長老クラスは客殿、若い者たちは「衆寮」と呼ばれる雲水の宿泊施設に分かれてしばし休息です。
「衆寮」のその中に、「女がいる」と寺の若い僧呂たちが言い出します。
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美形の浪士、矢頭右衛門七教兼(やとうえもしちのりかね)、18歳です。
大石主税16歳についで2番目の若さです。

 

赤穂開城の時、父長助が健在で残務処理に当っていました。
しかし、赤穂を後にして、病のためこの世を去ります。
母と妹も残しての討ち入り参加です。

 

元の石高20石5人扶持です。
微禄と言わざる得ません。
武士(もののふ)として参加します。

 

若い力が、このような形でまっすぐに主君の忠義に向かいます。
内蔵助からも若い故に辞退してはとの、申し出を断ります。
精神も男前です。
この役、三浦勝馬さんならどうでしょうね。

 

内蔵助は、すぐに大目付仙石伯耆守に使者を立て、寺社奉行にも寺から報告されます。
極めて事務的な仕事が待っています。
事件の調査も必要ですし、書類の作成も大切な仕事です。

 

世の中が治まれば、こうした地道な作業が日々の暮らしです。
毎日、ドンパチもありません。
斬りあいもありません。
それが普通です。

 

何か物足りなくなる。
それが幸せであると言うことに気づきません。
何もないのが、一番です。
それが幸せなんでよ。

 

ありがたいと感謝です。
平穏無事が一番です。
今日も平穏に一日が過せますように、祈るばかりです。

 

最後まで、男前も登場しないまま、お付き合い下さいまして、こころよりお礼申し上げます。