''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

深夜食堂 冷やし中華(冷麺)より。

深夜の帰宅に、何か食べたくなります。
口は決まっています。
冷麺です。
中華の冷麺です。

 

口が、酸っぱい中華タレを求めます。
酸味の効いた物が大好きです。
それでいて大変空腹です。

 

冷蔵庫には、麺はすでに用意してあります。
即席の半生タイプの麺と付属のタレです。
麺だけじゃもの寂しいです。
冷蔵庫を物色です。

 

きゅうりと卵を発見です。
きゅうりは、細く長く刻みます。
卵は、錦糸玉子風に、細長く刻みます。
あと、一品何か足りません。

 

きゅうりの緑と錦糸玉子の黄色ですね。
チューリップなら、赤白黄色でしたね。
チューリップの葉っぱが「緑」なので、麺の「白」を除くと、足りないのは「赤」です。

 

赤いものと言えば、ウィンナーでしょうかね。
あいにく切らしいてます。
赤いものというと、イチラーとしては、一味唐辛子しか思い浮かびません。
冷蔵庫の横に、すこしだけ糠床を作っています。

 

見つけました。
糠床の人参の漬物です。
浅く漬けたものですので、あまり糠の香りはきつくないですね。
よく水洗いして、赤のトッピングーに漬物の人参を細長く刻んで、三種盛りの出来上がりです。

 

もちろん、きゅうりの上にマヨネーズをすこし付けました。
イチラーですから、一味唐辛子も振りました。
我が家の深夜食堂の一品です。
イメージ 1

「めしあがれ」
「頂マンモス」(かんばれ、立ち上がってよ。のりぴー
深夜の一人「時そば」です。
「ひっぱりなぁって」

 

まずは、中華麺からです。
気持ち硬い目に湯がきました。
中華の冷麺の場合、芯を抜くぐらいにしっかりと湯がくのが原則です。

 

通常のラーメンの場合、芯をすこし残したくらいが、並(普通)です。
芯が、そこそこある状態(麺に対して3分の1くらいの芯がはっきり見えて来たくらい)が硬い目と言われる通の好む「かため」という状態です。

 

冷麺の場合、通常の硬め目にで揚げて、冷水で麺を冷やすと、食した時に違和感を覚えます。
ゴリゴリした感じがします。
うまくないですね。

 

ですから、この歯ごたえと食感、喉越しを考えると、通常のラーメンで言うところの柔らかい目「やわ」の状態にする必要があります。
麺に芯が残っていない状態です。

 

それを確認するために、流水に指を当て、箸ですくい取った麺を、指の腹に乗せて、目で確認します。
よくラーメンの釜場の人がやっていますよね。
あれです。

 

この確認で麺の味が決まるといってもいいです。
ラーメンをとやかく言われる方が多いですが、スープがダブルスープだととか鶏ベースだとか言う前に、ラーメンは「麺」です。

 

麺がうまくないと美味しいラーメンとは言えません。
ラーメンイコールスープが命でなく、麺が命です。
麺がうまくないとスープとの相性も語れなくなります。
どんなにうまい製麺所の麺と言えど、この茹で加減で味が決まります。

 

茹でるお湯は、すぐに汚れて濁ります。
濁ったお湯で湯がいても、美味しくありません。
いいラーメン店では、昼のピークを過ぎれば、お湯を変える時間で客を待たせます。
仕方ないことです。

 

本来なら、芯までしっかり抜くのが原則です。
しかし、蕎麦などをよく食すと、ちょっと硬いと思う蕎麦がありますね。
あの食感悪くないです。
韓国冷麺が好きな私としては、あの麺の食感も堪りません。

 

これをお店で言うには、すこし無理があります。
店の釜場によって、その硬めという定義が違います。
つまり、ゴリゴリの冷麺が出てくる場合があります。
ですから、自分で麺の硬さを調整しているのです。

 

こんな回の深夜の冷麺も悪くはないです。
仄かに腰も残っています。
ゴリゴリ感もないです。

 

きゅうりとマヨネーズが、酸味効いたタレとも合います。
錦糸玉子も、酸味の効いたタレと合います。
しかし、糠漬けの人参は、塩分がきつくて合いません。
人参は失敗ですね。

 

通常のなら、チャーシューでしょうね。
今回は、用意できませんでしたね。
次回は、用意してより美味しい冷麺に完成させたいです。

 

ここまでなら、料理のレシピのブログになりますね。
しかし、私のブログは、いろいろなご縁に感謝することを旨としています。
この冷麺の一皿には、仏法世界を現しました。(大げさです)
3つの食材は、過去世、現世、来世の三世を表しています。

 

この白いお皿は、まさしく「空(くう)」です。
「妙法華経」の諸法実相、つまり「空(くう)」を表しています。
このお皿の中で、人は、過去世、現世、来世の三世を輪廻します。

 

そこにあるのは、麺です。
麺は、因縁を示しています。
現世には、過去世、その前の過去世の因縁が影響しています。
もちろん、現世の因縁は、来世に影響します。

 

麺のように、因縁の複雑なつながりに影響しています。
悪いことをせずに、善い行いをなす。
これに尽きます。
これを行うことを旨として生きていれば、いい因縁で繋がります。

 

ありがたいと感謝する。
生きているのでなく、生かされていることに気づき、今あることに喜びを感じる。
それが私の場合、このお皿の仏縁ですね。
ありがたいと感謝の気持ちでいっぱいです。

 

「空(くう)」とは、そういう意味では、「縁起」という言葉でもあるとも言えますね。
「空(くう)」とは、難解の法です。
しかし、現世も、あくまでも仮の世界です。
私も修行の身ですが、「空(くう)」の理解の方向性は間違っていないと感じています。

 

この世界が、すべてではありません。
この現世で、生きる修行は、何も苦行難行を行うことが修行ではありません。
ものの考え方、特に仏の真理を学び、日々の生活の中で、それらを感じ実践すべきことではないかと感じています。

 

御仏のご縁を感じます。
見えないけれど強く感じます。
身近に感じます。
仏縁を頂いていると感じることこそ、真の喜びです。

 

日常における不安も当然あります。
しかし、近くで御仏が見守って下さっていると安堵の気持ちも同時に持っていることも確かです。
ありがたいと手を合わします。

 

天候も穏やかです。
私事ながら、明日から、カレンダー通りの休日を過ごします。
ありがたいと感謝です。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、麺食う話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。