''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

名人話芸・浪曲「千人坊主」京山幸枝若より。

お天気もよい古都京都のゴールデンウィークの始まりです。
ありがたいと最初から感謝モードです。

 

もともとゴールデンウィークとは、映画業界の言葉がその発端と聞きます。
行楽に出かけるのも、映画や観劇見るのもたのしいでしょうね。
たまにのんびり家で、家族や恋人と過ごすのもいいものでしようね。

 

落語、講談、そして浪曲です。
私は話芸が好きです。

 

今日(きょうび)、浪曲とはって言うことなかれ。
浪曲も話芸のエッセンスが詰まっています。
人情がたっぷり詰まっています。
落語もお笑いものは好ません。

 

やはり、人情ものですね。
人情の機微です。
心と心のふれあいに、目から涙が頬を伝います。
現代社会に薄くなった、人と人の心ですね。

 

それでも、泣き笑いは必要です。
笑った後に涙する。
涙の後に笑いです。
枝雀さんのいう「緊張と緩和」ですね。

 

引き込まれる演者の世界です。
今日は、浪曲の中でも、分かりやすい名人京山幸枝若さんの浪曲です。
演題は「千人坊主」です。
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この話は、名人大工・左甚五郎の話です。
天下のご意見番・大久保彦左衛門が左甚五郎の谷町(パトロンです。
仙台侯、お抱えの当時日本一の飯田淡渓と、三蓋松に鷹の彫刻で勝負です。
見事に、左甚五郎の勝利です。

 

この鷹を持って、千代田の城に登場しては、諸侯に自慢しています。
ここで、見えるのは大名と旗本の確執です。
外様大名と旗本は仲が悪いのです。
特に、三河以来の譜代の臣である大身旗本と外様大名の仲は悪いですね。

 

徳川の天下にしたのは、8万騎の旗本あったればこそです。
それを後から、天下の風向きを見て、徳川に従ったというだけで、万石、何十万石と大名の地位にいます。

 

事あることに、衝突です。
それも天下を分けるほどの戦になろうとすることもあります。
荒木又右衛門の、伊賀鍵屋の辻の決闘(かぎやのつじのけっとう)は、寛永11年(1634年)も同じような時代ですね。

 

この話は、仙台伊達藩と旗本大久保彦左衛門の戦いで、旗本が勝利した縮図です。
自慢たらたらと大名に物申します。
彦左衛門は、大身3000石です。

 

神君徳川家康公よりご遺言により、天下のご意見番(相談役)とのお役を終身拝命です。
(話の上だけです。そんな役職はありません。天下の副将軍と同じです。俗にいうならと言う程度ですね)
その折、家康公愛用の紫の頭巾を拝領します。

 

この頭巾を着けている時は、家康公が話しているのと同じです。
天下の将軍、家光と言えども従います。
ご意見無用と言いそうになれば、紫の頭巾をちらちらと見せます。
「そうでは・・まあ・・そうじゃのう」
と家光も逆らえません。

 

こんな特別職にあるので、外様大大名とも、対等に物申すと言うわけです。
そんな中、この鷹にケチを付けたのが、島津薩摩守です。
島津は77万石、実質の石高にすれば、100万石以上と言われています。

 

それほどの名工ならと、薩摩守の注文が甚五郎に入ります。
もちろん、本人でなく大久保彦左衛門が、請合います。
あれだけ自慢していたので仕方ないですね。

 

もし出来ないなら、彦左衛門のご意見番の紫頭巾を取り上げるという話に変わっています。
しかし、彦左衛門引っ込みが着かなくなってしぶしぶ請合います。
薩摩守の注文の品は、向こう100日の間に、5寸四角(15cm四方ぐらい)の板の中に千人坊主の彫刻です。
無茶苦茶な注文です。

 

急いで、この千人坊主の話を左甚五郎のところに、彦左衛門が持っていくと、あっさり甚五郎に断られてします。
師匠・墨縄甚兵衛からの忠告にあったのです。

 

師匠から、5寸四角(15cm四方ぐらい)の板の中「千人坊主」は、999人まで出来て、後一人の坊主の名前が分からず、自害した雲渓(運慶をもじったものでしょうね)や消息不明となった狩野探幽の話を聞かされていました。

 

しかし、無理と分かっていてもやるのが男、恩人のためにと命をかけて彫刻します。
やはり、最後の一人の名前が分かりません。
未完成のままです。

 

彦左衛門は、999人か1000人か、相手には分からないと持ていこうとします。
左甚五郎は止めます。
天下に自分の未完成を世に出すことは出来ません。

 

しかし、彦左衛門は、これをもって、薩摩守にお届けです。
やはり、虫眼鏡を使って数えます。
999人しか彫っていないと、詰め寄られます。
天下のご意見番、危うしです。

 

仕事疲れから、眠ってしまった甚五郎が、不思議な力で目覚めます。
表の方に引かれていきます。
外には旅の墨染の僧です。
この僧は何もかも知っていました。

 

この僧から、最後の一人坊主の名前を教えてもらいます。
それに1000人坊主にする方法も教えてもらいます。

 

何と四天王寺を作った聖徳太子が、この1000人目の坊主というのです。
大工の祖先といいます。
丁々発止(ちょうちょうはっし)のやりとりですね(ゆうじも蝶々も出てきませんけどね)
もちろん、この僧は、姿を消し、何あろうこの僧が聖徳太子という設定です。

 

四尺五寸、聖徳太子の木像の首から紐かけ、出来上がった5寸四角板の999人の「千人坊主」の板に紐付けて、これで1000人とすることで、ご注文の「千人坊主」の出来上がりです。

 

島津公に、甚五郎は食って掛かります。
千人坊主を依頼した以上、一からその坊主の名と寺の名前を、存じておられるのかと、尋ねます。
人の命をかけたおふざけに釘を刺したというところです。

 

大工だけに釘を射してという私のオチです。
めでたし、めでたしです。
島津公にも、旗本の彦左衛門の切腹も止められて、左甚五郎の名にも傷つかず、三者の利害が一致しましたね。

 

この話を、曲師・藤信初子、小池菊江の三味線が、幸枝若の浪曲の節回しを盛りたてます。
音源は、ローオンレコードですね。

 

なかなか聞き応えがあります。
名人芸ですね。
脂も乗ってる時代です。
いい出来ですね。

 

芝居にもなったりしています。
時代背景も知っているともっと楽しめますね。
(すこし訂正を加えました)

 

この話芸に、ありがたいと感謝します。
いい時間を過ごせました。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、呑み手の話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。