''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

ボスと一緒に歩こうか!! その3 耳塚~六波羅蜜寺~恵比寿さんへ

方広寺を出た一行は、寺院の外、正面どおり沿いの七不思議の一つ、耳塚に来ました。
秀吉の朝鮮出兵文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)、犠牲者の耳や鼻を敵の首記に変えたものです。

秀吉の下に、樽に塩漬けした耳や鼻を、その戦の勝利を伝えるためと、その恩賞の報告のために送られてきました。
中には分からないことをいいことに、敵の兵士の者でなく、女・子供の物もあったとも聞きます。

二度に亘る朝鮮出兵も、最初は輝かしい戦勝でしたが、泥沼化する最中馴染めない気候環境や生活の環境、ゲリラ化する朝鮮兵の攻撃、中国の明からの援助などにより、戦況は悪化します。

補給路を絶たれ、現地の土に化す兵士も多く出ます。
この時、病気予防、寒さによる防寒のために、唐辛子が日本から持ち込まれました。
これがキムチと深く関係することになると聞きます。

キムチは、13世紀以前には存在していましたが、山椒を使い、唐辛子を使うものではなかったようです。
日本から持ち込まれた唐辛子もすぐには利用されず、時間をおいて徐々に辛いキムチに使われるようになります。

それまで、朝鮮の食生活に唐辛子を使った料理は、ほとんど無く、格式ある王朝の膳には、唐辛子を使っておらず、日本の食事に近いものですね。
もちろん、『チャングムの誓い』のような、薬膳的な食材を使い健康を第一に管理されたご馳走だったと思われます。

唐辛子を入れて色を濃くすると毒を入れられた時に、判別が付きにくいのも一つだと感じています。
どこの王朝も一族の紛争は耐えません。
一番簡単な毒殺による戦が用いられます。

ちなみに朝鮮で食事に、銀の箸や銀の匙(さじ)を使うのは、食事に毒が混入していると、銀の箸や匙の色が、濁るとも言われます。

古今、すっぽんの食事を愛食されるのも、毒を入れると変色するとも聞きます。
滋養強壮だけでなく、古人にもそうした身を守るすべが知恵としてあったように思います。
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写真は方広寺に掲げられている秀吉公です。

何故、秀吉は日本統一していながら、内政の充実、国内の整備にもっと力を入れなかったのか、疑問もありますね。
本気で、明まで統一できると考えていいたのでしょうかね。

この朝鮮出兵が、徳川の世を実現することの要因によります。
多くの武将が、海を越え朝鮮出兵しますが、徳川勢は、先祖伝来の三河から江戸に国替えさせられて、余力がないと、名護屋城まで派兵するものの、出兵せず、無傷のままであったことも大きな要因です。

敵対する大名は、痛い目にあうことになりますからね。
この時、国を整備していたら、歴史は変わっていたことでしょうね。
秀吉が恐れていた黒田幕府もあったかもです。
首都も九州ということも考えられます。

「刀狩り」以来、士農工商とした身分制度の前提が整います。
職業軍人が、当時50万人以上いたと聞きます。
戦に対する恩賞がありません。

何処かに架空の敵国を作る必要があった。
統一したとはいえ、小さな内戦があちこちにあったわけです。
その仕置きに兵を動かしても、それに応える褒美の土地がありません。

大名家なら、名刀や茶道具も通じましょうが、その下の家臣が納得しません。
広い土地を求めます。
自分から欲して、戦を求めたのか、時代が戦を求めたのか不明です。
そんな悲しい象徴の碑が、巨大な耳塚です。

この耳塚の横には、耳塚公園と言うのがあります。
小学学校の跡地です。
明治天皇も立ち寄り休憩したという謂れのある場所です。
碑文が立っています。

下から見上げる巨大な耳塚です。
負の遺産です。
犠牲者の冥福を祈らずにはおられません。
耳塚の写真をと思いましたが、少し気が引けましたね。

一行は、このまま歩いて六波羅の方に向かいます。
もちろん、六波羅蜜時ですね。
ここでは、本堂の拝観はせずに、銭洗い弁財天でも有名です。

一番有名なのは、平清盛公と空也上人の像ですね。
どちらも歴史の教科書に出ています。
こちらも、国宝の十一面観音立像が安置されています。
どうも、七福神様と観音様にご縁のある歩こう会です。
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じゃ、このまま建仁寺に向かう途中に、七福神がもう一人お祀りされています。
恵比寿さんですね。

十日恵比寿には、ここも動けないぐらいの人出です。
その時には、鳥居の真ん中の恵比寿顔は白い布で覆われます。
落下防止のためと聞きます。

三十三間堂では、毘沙門天さまを、方広寺では、大黒天さまを、六波羅蜜寺では、弁財天さまを、そして、ここ恵比寿さまと、一気に七福神の内、4つの神様を回りましたね。
何かご利益がありそうです。

こうして元気に歩いて過ごせる。
これ以上のご利益を願っては、欲深いですね。
まだまだ、この後最後の目的地、建仁寺さんへと一行は足を進めます。
ありがたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、目から耳に通る話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。