''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

聖なる門から見える貴人物語より。

12月も22日ともなると、クリスマス一色ですね。
家の近くにもキリスト教の教会があります。
その併設された女学校には、クリスマスの飾り付けがされています。
イメージ 1

何とも綺麗です。
よく見ると、赤い丸い物はリンゴです。
松ぽっくりも本物です。
こうした飾り付けを、間近でみることは少ないですからね。
イメージ 2

夜は、イルミネーションが、とても綺麗です。
幻想的な中に、マリア様が浮かばれています。
写真のリーフの中にも、その中心に、マリア様がおいでになります。

 

私は、仏教徒ですから、キリスト教の儀式がどんなものか存じませんが、一般的なクリスマスとして、行事の一環として楽しみたいです。
宗教的な教義や考え方は、ここでは論じません。

 

マリア様が、偉人であることに違いはありません。
イエス・キリストさんを生まれた尊い存在です。
偉人には、敬意を表します。
この世を平和に平穏に導いてくださいます。

 

この時期、門と言えば、やはりあれです。
赤穂浪士忠臣蔵です。

 

吉良邸の表門に、総大将・大石内蔵助、裏門には、嫡男・大石主税が大将を勤めます。
門の前に立って、如何ばかりの緊張を感じたことでしょう。
やり損じは出来ません。

 

昼間の茶会で、吉良上野介が在宅していることは、はっきりしています。
敵は、かならずやこの屋敷に居る。
狙うは、吉良の首です。
主君・浅野内匠頭を仇討ち、この一念しかありません。

 

本当はやりたくなかった。
これが、内蔵助の本心です。
最後の最後まで、やりたくなかった。
回避できるものなら、回避したかった。

 

小なりとも、弟・大学を主に迎えて、幕府が大名として再興してくれば、円く収まったはずです。
それを、浅野本家に預けたという沙汰を聞いた時、討ち入りを実行することを最終的な決定したわけです。

 

そんな胸中を何度も、この門の前で趨勢したことでしょうね。
それをおくびに見せない技量の大きさが成功に繋がります。

 

吉良上野介は、すでに隠居の身ですから、屋敷の奥にいます。
探すのが大変です。
屋敷の絵図面を手にしています。
それでも、高貴な方ゆえ、顔を存知おるものは、47人の中にはいません。

 

時間は決まっています。
いつ、上杉の手の者が来るかしれません。
絶対に成功以外の選択肢はありません。
絶体絶命の危機です。
管理者の技量がここでものを言います。

 

吉良上野介を「卜一(ぼくいち)」と読んでいます。
符丁ですね。
上野介の「上」を「卜」と「一」に分解したわけです。
因数分解です。

 

とりあえず、符丁や暗号が好きみたいですね。
これも戦の決まりかも知りません。

 

この門のリーフのように、「どこでもドア」のように、目指す目的物が、見えれると良かったですね。
(アリア様とは、全く関係はありません。誤解を招きませんように)
なかなかそうは行きません。
仏教的には、神通力ですね。

 

遠くのモノや見えないモノが、見える特殊な能力です。
六神通と呼ばれる仏や菩薩が持たれる特殊な能力です。

 

これがあれば、あっという間に、討ち入りも出来たことでしょうね。
しかし、最後の最後まで、吉良を判明できなかった。
その時間は、どれほど長いと感じたことでしょうね。

 

この時間にいろいろな出来事が去来したはずです。
人であるが故の心の迷いもあります。
信じる一念が成功成就の道でしたね。

 

私も信ずるこの道をまっすぐに進めば、長安に続いているのでしょう。
心の三毒を廃し、心静に安穏に暮らさせてもらう。
これが静かな最上の幸せだと感じています。

 

ありがたいと感謝です。
ありがたい仏縁を頂けたことに感謝です。
この平和な時代に生まれたことに感謝です。

 

今日も一日、私も世の中も平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、丸の中を見通せないままの話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。