''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

久しぶりに見た蝉の抜け殻から始まる物語 より。

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今日も暑いです。
朝起きると蝉の声が聞こえます。
その蝉の声聞くと、余計に暑さを感じます。
やはり、夏ですね。

私も、先日、蝉の抜け殻見つけました。
たわわになっていると言う位、木にいっぱいです。
そんな蝉の抜け殻を見ると、ドラマの一シーンを思い出します。

「あんな~」
「あのね、」

こんな会話を思い出します。
ドラマの『八日目の蝉』の薫ちゃんこと秋山恵理菜ちゃん(小林星蘭ちゃん)と、ヒステリックな母・秋山 恵津子さん(板谷由夏さん)の会話です。

小豆島の島言葉が抜け切らないまま、「あんな~」と話しかけると、標準語の「あのね、」を押し付けるシーンです。
ドラマで一番印象に残るシーンの一つです。

高圧的な母親の言い方に、気持ちが萎縮してしまって、家を出て、小豆島の家に帰ろうとします。
どこに行っても追いかけて来ます。
挙句に、警察に補導されても、知らないおじさんとおばさんに監禁されているかの、子供の言い分です。

血縁の父と母であることが、分かっても、どうも本当の家族でないと感じて大きくなります。

そんな薫ちゃんこと秋山恵理菜ちゃんが、小豆島に戻って、子供の自分の姿を見つめるところから始まるのが、映画『八日目の蝉』です。

秋山恵理菜 を、井上真央ちゃんが演じます。
誘拐犯の野々宮希和子を、永作博美さんが演じます。
賞も総なめにした感のある映画『八日目の蝉』ですが、私はドラマの方が、ずっと名作だったと思いますね。

ただ、映画の方は、永作博美さん、井上真央ちゃんの演技も良かったですが、一番良かったのは、子供の頃同じ施設で育った安藤千草の小池栄子さんだと感じましたね。
駆け込み寺みたいな女性の施設『エンジェルホーム』で子供頃の一時を共に過ごしたという関係という設定です。

小池栄子さんは、マロンちゃんと呼ばれ、薫ちゃんは、リベカちゃんと呼ばれ、姉妹のように育った関係であったのでした。
ちょっとオーム真理教を思わせるフォリーネームぽいのが、何か違和感を覚えます。
意図したものがあったように感じます。

映画のキャスティングの問題でなく、脚本の問題でしょうね。
2時間ちょっと作品では、すべては捉えることができなかったのが、一番の要因です。

それに、映画では、篠原文治(希和子に思いを寄せる)島の漁師役の 岸谷五朗さんが居なかったのが、やはり問題です。
最後の台詞を「この子、まだ朝ごはん食べてないんです」、この台詞の意味合いが変わって来ます。

主役の野々宮希和子役は、ドラマの檀れいさんの方がぴったりでした。
それに、沢田昌江(久美の母)の 吉行和子さんの存在も、漁師役の 岸谷五朗さんも、ドラマの中では重要な位置でした。

もっとも、違うのは、薫(幼少時の恵理菜)役の小林星蘭ちゃんです。
子役の位置で、ドラマの出来が変わります。

その最たるものが、「あんな~」でしょうね。
小豆島は、香川県ですが、島の位置関係からしても、関西圏の言葉に近いですね。
私も行ったことがあります。

そうめんとオリーブの島という感じです。
自然の恩恵が、強く感じますね。

ドラマでは、その小豆島の風景も、よく出ていたように感じます。
薫の中では、「八日目の蝉」は、七日しか寿命のない蝉で、「1人残った寂しい存在」です。

でも、「八日目の蝉」は、他の皆が見られなかった世界を、見られた特別な存在でもあります。
相対観と絶対観、両極した中の世界観は、仏の世界にも通じます。
小豆島には、八十八ヶ所の観音霊場でも有名です。
ドラマの方では、親子二人して、お寺にお参りするシーンが出てきます。

親子二人穏やかに生活を、希和子は念じます。
特別な願い出なく、二人して要られるという、ささやかな願いです。
ドラマでは、刑を終えた希和子の姿があります。
あの思い出の小豆島には、渡ることが出来ない心境です。

偶然に見かけた成長した薫の姿を見つめるシーンが、何とも切ないです。
ドラマのこの先の世界も、想像したくなります。

日々の暮らしの中にこそ、幸せがあります。
ありがたいことに、私は仏縁を頂いています。
ありがたいと感謝しています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、内容のない殻の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。