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斎藤 道三 (さいとう どうさん)/ 斎藤 利政(さいとう としまさ)
かつては、「道三は油商人から一代で美濃を平定(国盗り)した」とされてきたが、1965年 - 1973年に発行された『岐阜県史』編纂の過程で発見された古文書「六角承禎条書写」によって、美濃の国盗りは道三一代のものではなく、その父の長井新左衛門尉(別名:法蓮房・松波庄五郎・松波庄九郎・西村勘九郎正利)との父子2代にわたる。
後に江戸時代には、旗本の井上家や松波家などが道三の子孫として存続した。井上家は長井道利の子孫、松波家は道三の子、松波政綱を祖とする。江戸町奉行を務めた松波正春が著名な子孫である。
道三の娘は稲葉貞通に嫁ぎ、稲葉典通を産んだ。典通の子孫からは臼杵藩主となり幕末に至った者、皇室へ血を繋げた者、公家へ血を繋げた者などがいる(斎藤道三 - 娘 - 稲葉典通 -(略)- 稲葉知通 - 稲葉恒通 - 娘 - 勧修寺経逸 - 勧修寺ただ子 - 仁孝天皇 - 孝明天皇 - 明治天皇 - 大正天皇 - 昭和天皇 - 明仁上皇 - 今上天皇)。『ウィキペディア(Wikipedia)』参照
子
義龍、
孫四郎、
喜平次、
日饒、
日覚、
利堯、
利治、
長井道利、
松波政綱、
娘(土岐頼香室)、
娘(土岐頼純室)、