''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

華麗なる朝パンとホウレン草とサーモンシチューの朝ごはん より。

今日は、オフ日です。
世の中は、3連休の様子ですが、私はこの日が唯一のオフです。
早番も一日あります。
体の疲れもピークですね。

今朝も、幾つの夢を見て、どこに居るのやら分からないほどでした。
訳が分からない気分の目覚めでしたね。

一昔前の映画の3本立てのように、幾つもの夢を見ます。
完結する話もあれば、途中でオチのないまま、終了する夢もあります。

そんな不思議な目覚めから、現世に引き戻したのが、食卓の朝の音です。
トントントンと何やら、嫁が用意してくれています。

二人して、同じオフを迎えるのは、大抵土曜の朝です。
この日には、少し手の込んだ朝ごはんを用意してくれます。
今日は、朝ごぱんですよ。
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ケーキの型に入れてパンを焼いてくれました。
上に乗っているのは、カレー風味の具材です。
少し変形したカレーパンです。

これはこれで美味いです。
好みの味ですよ。
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これに合わせたスープは、具だくさんのホウレン草とサーモンシチューです。
昨日焼いたサーモンが入っています。
こりゃ、朝からご馳走です。

朝は、ごはんが多いです。
でも、オフの日は、パンの朝も嬉しいです。
子供の頃、偶にモーニングを食べに連れて行って貰った時は、テンションが上がりましたね。
厚切りのトーストに、溶けたバターが一体となしていましたね。

これに、ミニのサラダと、ホットコーヒーでした。
私の家では、子供でもコーヒーは、OKの家でしたら、コーヒーの味も知っていました。
もちろん、砂糖とミルクの入った甘い目のコーヒーです。

それでも、喫茶店と言えば、モーニングより、ランチが好きでしたね。
ナポリタンやらオムライスなど、まだまだ洋食系が人気の喫茶店メニューが、お気に入りでしたね。

熱した鉄板に、板の受けが合体して、その鉄板に盛られたナポリタンの香りが、懐かしいです。
ハンバーグにしても、ステーキにしても、当時の形式は、熱した鉄板でしたね。
当時の家では、出来ない芸当でしたから。

今なら業務用の機材を売っている店も近くにありますので、あれくらいなら手に入ります。
それとも、大阪千日前の道具屋筋に行けば、見つけることも出来ます。

当時憧れたのが、カレーのソースポットでしたね。
石井ふく子プロデュースの番組で、カレー屋のドラマがありましたよ。
「ありがとう」シリーズの流れであったと思います。
京塚昌子さんと佐良直美さんが母娘を演じたドラマだった記憶しています。

ソースポットにカレーを入れて、お客さんに持って行くシーンが、懐かしいです。
昔のカレー屋と言えば、カレーポットでしたね。
白い皿に、ライスが盛られ、それと同時に、カレーポットが運ばれます。
テーブルの上のポットに、福神漬とラッキョが盛られていたのを思い出します。

まだまだ、カレーがご馳走であり、専門店のカレーと家で作られるカレーに違いがあった時代です。
具だくさんの家カレーと、ソース中心で、煮込んだ肉と合わせられた店カレーとの違いです。

最近、水前寺清子さんが、バラエティー番組によく登場されていると言うイメージが強いです。
家の片付けの番組をやられていたのを、最近見ました。
さんまさんの番組でも、同じような番組もありましたね。

小さい民子で、テータですからね。
元気がいいのが、歌にもよく合います。
1968年の『三百六十五歩のマーチ』(作詞 星野哲郎・作曲 米山正夫)が100万枚の大ヒットが、その象徴です。

意味の深い歌詞です。
何やら仏教的な意味合いを感じます。
川内 康範さんのような慈悲慈愛を感じる法華経的なモノとは対照的に、七転八起的な禅的悟りの境地でしょうかね。

そう、幸せは、歩いて来ない。
自分の内なるものの中に、幸せはあるんですよね。
道は、近きにありですよ。

星野節と呼ばれる歌詞は、星野先生自身は「演歌」と称さず、遠くにありて歌う遠歌、人との出会いを歌う縁歌、人を励ます援歌などと称していたと聞きます。(ウィキペディア参照)
励ます歌の代表格が、『三百六十五歩のマーチ』なんでしょうね。
でも、それを書かれている星野先生の自分への応援歌でもあったと思います。

同じく鳥羽一郎さんの代表曲『兄弟船』(作詞:星野哲郎、作曲:船村徹、編曲:丸山雅仁)の歌詞も星野さんの歌詞の世界が、凄いです。
今度は、兄弟愛、そして、親子愛でしょう。
亡き父との縁、今も現在な母との縁、縁が複雑に絡んだそんなド演歌の世界観です。

時代を超えて、受け継がれる演歌の世界かもしれません。
食も同じです。
子供の頃に五感で得たの味覚は、味だけでなく、香、音、その場の空気感も含めて、思い出されます。

何を食べのでなく、どんな情景で誰と何を食べのかでしょうね。
子供のこうした記憶は、大人になってからの人間形成にも大きな影響を与えるように思えます。

貧家のささやかな朝ごパンに、ささやかな幸あれと、念じるだけです。
ありがたいと、観音様に手を合わせます。
ありがたいと、仏様に手を合わせます。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、光の見えない四方山話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。