''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

夫婦二人して、我娘ゆうゆうの命名の儀 改めて執り行いました より。

朝から日差しが、居間に強く入ります。
いい天気の予感です。
それにして、今週は冬を日本のあちらこちらで感じた1週間にでもありましたね。

風が冷たいと言うのが、季節の変わり目を感じます。
変わり目と言われても、落語『替り目』には、話を進めませんよ。
それにしても、これだけ寒いと熱燗が恋しくなります。
昨晩も、鰤大根に、ふぐのヒレ酒を少し熱燗にして、頂きました。

今日は、久しぶりの連休のオフ日です。
珍しいです。
土日の連休は、思い当たりません。

それじゃと、先日来気になっていた我娘ゆうゆうの命名の儀をやりたいと、夫婦して相談しています。
すでに名前は決まっていますが、命名の儀式はしていませんでしたからね。
近くの西松屋で、命名用紙(299円)を購入して用意していました。
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私愛用の寒山寺の硯です。
子には、過去の記事にしています。http://blogs.yahoo.co.jp/kantoshoue/30496412.html
月落烏啼霜満天[月落ち烏(からす)啼(な)きて、霜(しも)天に満つ] は有名な漢詩です。

どこぞの書のお好きな家では、蘇州の文人文徴明の筆になる「楓橋夜泊」の詩を刻んだこの碑文の拓本がお軸になって、床の間に飾れていると思います。
もっとも売れている拓本の一つかもしれません。

寒山寺と言えば、日本でも人気の寒山拾得のお寺です。
日本でも、このテーマで書かれた絵画も多いです。
海北友松、池大雅富岡鉄斎などのこのテーマの作品が名高いです。
特に親しみやすいのは、榊莫山さんのイメージですね

寒山の「山へ行こうか川に行こうか」、そんな問いに、拾得の「空へ行こうよ」と、摩訶不思議な二人の会話が印象的です。
山と川と言う選択肢に対して、それ以外の選択肢の空を選ぶと言うある意味暴挙に出るわけですね。

しかし、みかんとリンゴの選択肢に対して、バナナと言うのとは、全く次元が違う話ですよ。
二次元の話の中、三次元以上の異次元の話ですからね。
二人の因縁の話も、過去に書きました。

そう藤田ニコル(にこるん)のイチゴじゃなくて、みかんがいいと言うのと、少し違います。
ちぐはぐな会話も、素人キラーの明石家さんまさんには、キラーパス的な言葉を捉えて、会話のキャッチボールは、見事な一芸です。

話は戻って、写真を見て、硯もそうですが、墨も「寒山寺記念墨」なんですよ。
今から30年く近前の1988年に中国に居た時に、蘇州土産にかったものです。
今まで大切に取っていました。
人生の節目に使おうと、この日に下ろしました。

娘の誕生は、それほどにありがたい出来事でしたね。
今日も昼から、保育器の箱入りの娘のゆうゆうに会いに行きます。

1988年と言えば、あの中国の天安門事件の前年です。
まだ、時代は平成になる前の昭和の時代です。
今の金満大国の中国とは、かけ離れた時代でしたよ。
時の流れを強く感じます。

今の嫁との穏やかな暮らしに満足しています。
これに娘が加われば、どんな暮らしになるのか、予想が付きません。
当分は、夜泣き攻撃にあうのは、想定内です。
それでも、元気で我が家に帰って来てくれるのが、今の願いです。

命名の書を書いていると、嫁が搾乳最中にも関らず、私も書かせてよって、参戦して来ました。
もちろん、私に否はありません。
2人して、命名の儀を無事に終了しました。
ありがたいことです。

手を合わせて、娘ゆうゆうの健やかな成長は、観音様にお祈りするだけです。
ありがたいことです。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、月落ち子(わらす)啼(な)きて、霜(しも)天に満つの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。