''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

洛中散策 菅大臣神社より

この地は約1100年ほど前の菅原道真(849~903)の累代の邸宅址で、菅家廊下(かんけろうか)と言う、学問所の跡地でもあったようです。
生誕の地でもあると言われています。
紅梅殿・白梅殿などと呼ばれる梅に関係した建物があったようですね。
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敷地ももっと広大でこの辺一帯ですね。
今ではちょっ分かりにくいです。
道真没後には早くも神社があったようですが、詳しいことは分かっていないようです。

 

道真公と言えば、北野天満宮の方が有名ですが、こっちの方がもっと早いようです。
本家本元でしょうかね。
応仁の乱などにより、幾度大火に見舞われては再興されたようです。
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奥の拝殿は下鴨神社から移設してという由緒があります。
大変立派です。気持ちが引き締められます。
境内にはあの有名な「飛梅」があります。
何代もの後のものでしょうが、この神社で見ると感慨深いです。
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 『東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春なわすれそ』  

 

     という和歌もこの地で詠まれたとの事です。

 

この飛梅に語りかけるように詠まれたのでしょう。
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 ご存知のように、延喜元年(901)に藤原時平の讒言(ざんごん)により、大宰府(福岡県)に左遷されます。
右大臣が大宰権帥(だざいごんのそち)、今で言うなら、大蔵大臣が福岡県知事になったようなものでしょうかね。
比較は出来ませんが、都から追い出されたようですね。

 

根も葉もないのに左遷されたのですから、怒りは大変だったと思います。
そのために道真公の死後、天変地異の異常気象ということで、その怒りを治めるために神社に神として祀り、沈めようとしたんですね。

 

もともと道真公は学者さんですね。
政治家として、いろんな政策をバンバン進めます。
でも政治の大半が藤原氏のものでしたから、道真公は少数派です。
政治的に渦に巻き込まれたんです。

 

遣唐使の廃止も道真公の判断でしたね。
たしか「白紙(894)に戻す遣唐使」なんて習ったような気がします。

 

この神社のある地名は、菅大臣町です。
そのままですね。分かりやすいです。
でも場所は分かりにくいですね。観光客もいません。
ビルの合間にぽっかりと空が開いています。青い空です。

 

境内の真ん中にひとり立って、和歌を口ずさむ。
ちゃんと前日までに暗記していて下さいよ。

 

秋の京都を満喫しています。

 

日々の生活にありがたいと思う気持ちに振り返りつつ、今があります。
幸せを探す方法がここにあるように思えます。感謝の気持ちでいっぱいです。

 

最後まで読んで下さって本当にありがとさんです。