どうも、最近中華そばをよく食べます。
本格的なラーメンの麺とかでなく、黄色い中華そばです。
茹での中華そばですね。
高校の時、学食でよく食べた黄色いそばです。
学食では、うどんやそばでなく、この黄色の中華そばが、私たちの中で流行りました。
ですから、うどんの出汁でも、この「黄色いそばで」と注文すると、うどんでなく、黄色いそばが入って来ます。
もちろん、カレーそばも同じです。
カレーうどんでなく、「黄色そばで」と言うとカレーそばになって出ます。
「黄そば」や「黄ぃそば」と呼ばれることもあります。
懐かしいです。
京都に住んでいた時、「キーシマ」とも呼ぶと聞いたことがあります。
町の食堂で、中華そばでうどんの出汁で提供する店も多いですからね。
早京都を出てから、確かもう少し8年が過ぎようとしています。
娘が、もうすぐ6歳ですからね。
昨日といひ今日と暮らしてあすか川 流れて早き月日なりけり by 春道列樹
月日の流れは早いです。
娘が昨日生まれたような錯覚があるのに、来年の春から小学校です。
すでに、自分で選んだピンクのランドセルも用意してあります。
噂によると、コロナの影響で、ランドセル不足だと聞いたので、すでに夏には用意しました。
体の小さなゆうゆうには、ゆうゆうがランドセルを背負っているのか、ランドセルにゆうゆうが付いているのか分からない状態です。
毎夜、親子3人で「川」の字で寝ていますが、夜中になると、「H」の字になって、娘の足が、私の腹辺りに蹴られて、目が覚めます。
どんな寝相だよね。
それでも、私には娘が居るんだと幸せな気分になりますよ。
娘がまだ2歳頃には、夜中目が覚めると、横に小さな娘が居るのを見て、「私には娘が居る」と夢でなく現実世界だと痛感することが多かったです。
何だか、夢の中で、娘と過ごしているような気持ちが目を覚めると強かったです。
観音様に手を合わせて感謝の気持ちを伝えます。
長い間独身の私に、子供が居ると言うのが、ふと夢の中のような気持ちによくなりました。
現実世界だと、何度も痛感してのを今でも忘れません。
人様より、随分遅咲きの人の親です。
50歳も半ばになると、通常の暮らしなら、小さな子供の手をにぎることもありません。
保育園の行き返り、スーパーでの買い物、家での過ごしといい、折につけて娘の手をにぎると、いろいろな事を思います。
それも、今だけですからね。
すぐに「お父さん嫌い」と言われそうです。
その分しっかりと胃袋をつかまないといけません。
平日の夕飯は、私が作りますので、日々の食事で娘の胃袋をつかまないといけません。
先日来、鶏の唐揚げを作ってやると、また作ってと言います。
味噌マヨサラダに、ポテサラ、スパサラ、カレースパサラ、など日々の食事が馴染んでいます。
食べたいと言えば、リクエストに答えます。
麺類も多いです。
最近は、温玉うどん作ってと言われました。
温玉は、嫁が得意ですから、嫁に言ってくれよ。
カレーうどんも好きですね。
先日は、賄い風のカレー中華そばを作りました。
出汁もしっかり効かせています。
そこに少なめのカレールーとカレー粉を合わせて、最後に水溶き片栗粉を入れてトロミをつけるそば屋のカレー中華そばです。
家庭のカレーを、温めたうどんに入れる汁なしのカレーうどんでなく、そば屋のような出汁の効いたカレーうどんも美味いです。
その黄そばバージョンです。
具材もこの為に作っています。
いつものように冷蔵庫と相談しています。
カレーの味は失敗しませんからね。
昭和の昔のカレーみたいに、カレーライスにウスターソースやとんかつソース掛ける方も見なくなりました。
時代の変化も、食文化の流れの速水です。
ちょい足しの麺類が多い我が家の食卓でした。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。