
写真は春先の写真です。
昨日に続いて、三条橋からリポートです。
二人の像が立っています。
彫刻家、小山田寿氏の作品のようですね。
愛嬌のあるお二人です。

十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」に出てくる弥次さん、喜多さんですね。
弥次さんは、弥次郎兵衛が本名です。
喜多さんは喜多八が本名です。
二人の像が立っています。
彫刻家、小山田寿氏の作品のようですね。
愛嬌のあるお二人です。

十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」に出てくる弥次さん、喜多さんですね。
弥次さんは、弥次郎兵衛が本名です。
喜多さんは喜多八が本名です。
これは「へぇへぇへぇへぇ」と満へぇですよ。
ご存知でした?
恥ずかしながら、知りませんでした。(右手は敬礼。昭和の香りです)

三条大橋は豊臣秀吉公によって「天正十七」に立てられています。
その石材が今でも見られます。
ご存知でした?
恥ずかしながら、知りませんでした。(右手は敬礼。昭和の香りです)

三条大橋は豊臣秀吉公によって「天正十七」に立てられています。
その石材が今でも見られます。
スタートであって、ゴールです。
人の生涯にも似ているように思います。
人生双六ですね。
人の生涯にも似ているように思います。
人生双六ですね。
どんな道にもゴールはあります。
どんな道にもスタートはあります。
どんな道にもスタートはあります。
その間の様が面白いのかも知れません。
行き交う人にそれぞれの人生があって、それぞれの縁(えにし)がある。
知らず知らずに、袖ふりあっているのかもしれないと不思議な気持ちです。
行き交う人にそれぞれの人生があって、それぞれの縁(えにし)がある。
知らず知らずに、袖ふりあっているのかもしれないと不思議な気持ちです。
それでも、幾万、幾億通りの確立で、同じ人物と偶然に出合うこともあります。
不思議ですが、それがご縁です。
いつもの通り、偶然の偶然は必然です。
逢うべくしてあった、それだけです。
不思議ですが、それがご縁です。
いつもの通り、偶然の偶然は必然です。
逢うべくしてあった、それだけです。
その中で、前世は親子、夫婦であった関係もあるはずです。
見ず知らずと言いながら、前世では親子であったとすると、この魂は呼び合っているように思います。
前世と言えば、そのまた前の前世では、兄弟であったかもしれません。
見ず知らずと言いながら、前世では親子であったとすると、この魂は呼び合っているように思います。
前世と言えば、そのまた前の前世では、兄弟であったかもしれません。
何かのご縁はこうした、目に見えない世界で繋がっているように思えます。
運命論者と言われても、現実に不思議なことがあります。
運命論者と言われても、現実に不思議なことがあります。
説明の付かないことも多いです。
十返舎一九は、天保2年(1831)8月6日67歳で、江戸の裏長屋でひっそりと病死という人生の終り方です。
しかし、本人は自分の死を予期して、頭陀袋へ線香花火をいっぱい詰めておいて弔いの人を驚かせたという逸話が残っているようです。
しかし、本人は自分の死を予期して、頭陀袋へ線香花火をいっぱい詰めておいて弔いの人を驚かせたという逸話が残っているようです。
「この世をば どりゃおいとまに せん香の 煙りと共に 灰左様なら(ハイさようなら)」
人生のお暇(いとま)ごいに、線香花火で、ハイさようならとは、シャレています。
こんなに楽しい人生があったものでしょうかね。
傍目から見る人生と、自分の楽しんで人生とは、一致しない事も多いです。
こんなに楽しい人生があったものでしょうかね。
傍目から見る人生と、自分の楽しんで人生とは、一致しない事も多いです。
いつも誰かと二人して歩いているイメージが、こんな作品を書かせたものでしょうかね。
心の中の自分と会話するのも楽しいものです。
一人の時間も楽しめる、そんな達人だったのかもしれません。
心の中の自分と会話するのも楽しいものです。
一人の時間も楽しめる、そんな達人だったのかもしれません。
「この橋 渡るべからず」の標識にも、一人優々真中(中道)を通って橋を渡っています。
そんな笑いもあるように思えます。
私もあなたも、誰もが一人でなく、縁で繋がっています。
ありがたいと思える時間です。
ありがたいと思える時間です。
最後までお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。