''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

三条大橋の弥次さん喜多さんから見える世界。

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写真は春先の写真です。

昨日に続いて、三条橋からリポートです。
二人の像が立っています。
彫刻家、小山田寿氏の作品のようですね。
愛嬌のあるお二人です。
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十返舎一九滑稽本東海道中膝栗毛」に出てくる弥次さん、喜多さんですね。
弥次さんは、弥次郎兵衛が本名です。
喜多さんは喜多八が本名です。

これは「へぇへぇへぇへぇ」と満へぇですよ。
ご存知でした?
恥ずかしながら、知りませんでした。(右手は敬礼。昭和の香りです)
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三条大橋豊臣秀吉公によって「天正十七」に立てられています。
その石材が今でも見られます。

当時として、立派な橋です。
東海道五十三次の終点であり、出発点でもあります。
この橋から、江戸に続きます。
多くの歴史上の人物もこの橋を幾度となく渡った事でしょう。

宮本武蔵も然りです。
鬼平こと長谷川平蔵も然りです。
近藤勇も土方も同じです。

江戸から来れば、ここを通ります。
弥次喜多もここに至ります。

スタートであって、ゴールです。
人の生涯にも似ているように思います。
人生双六ですね。

どんな道にもゴールはあります。
どんな道にもスタートはあります。

その間の様が面白いのかも知れません。
行き交う人にそれぞれの人生があって、それぞれの縁(えにし)がある。
知らず知らずに、袖ふりあっているのかもしれないと不思議な気持ちです。

それでも、幾万、幾億通りの確立で、同じ人物と偶然に出合うこともあります。
不思議ですが、それがご縁です。
いつもの通り、偶然の偶然は必然です。
逢うべくしてあった、それだけです。

私は仏教徒なので、前世も来世も信じます。
輪廻しているわけです。
ぐるぐると廻り回っているわけです。

その中で、前世は親子、夫婦であった関係もあるはずです。
見ず知らずと言いながら、前世では親子であったとすると、この魂は呼び合っているように思います。
前世と言えば、そのまた前の前世では、兄弟であったかもしれません。

何かのご縁はこうした、目に見えない世界で繋がっているように思えます。
運命論者と言われても、現実に不思議なことがあります。

前にも記事で書きましたが、お釈迦さまと提婆達多(ダイバダッタ)の不思議な縁を思い出します。
多くの前世で登場します。
その前の前世では、王と大臣であったりもしました。

説明の付かないことも多いです。

弥次喜多の作者、十返舎一九は一人を好んだと聞きます。旅も一人旅です。
実世界でなく、バーチャルな世界の方がより、現実的な二人旅が出来ます。

十返舎一九は、天保2年(1831)8月6日67歳で、江戸の裏長屋でひっそりと病死という人生の終り方です。
しかし、本人は自分の死を予期して、頭陀袋へ線香花火をいっぱい詰めておいて弔いの人を驚かせたという逸話が残っているようです。

「この世をば どりゃおいとまに せん香の  煙りと共に 灰左様なら(ハイさようなら)」

人生のお暇(いとま)ごいに、線香花火で、ハイさようならとは、シャレています。
こんなに楽しい人生があったものでしょうかね。
傍目から見る人生と、自分の楽しんで人生とは、一致しない事も多いです。

いつも誰かと二人して歩いているイメージが、こんな作品を書かせたものでしょうかね。
心の中の自分と会話するのも楽しいものです。
一人の時間も楽しめる、そんな達人だったのかもしれません。

「この橋 渡るべからず」の標識にも、一人優々真中(中道)を通って橋を渡っています。

そんな笑いもあるように思えます。

私もあなたも、誰もが一人でなく、縁で繋がっています。
ありがたいと思える時間です。

最後までお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。