''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

武将・剣豪の愛刀を吟味。その1

先日、深夜の帰宅にコンビニに立ち寄ったことです。
雑誌や書籍の棚に、お宝を見っけました。
いえいえ、そっちのお宝ではなく、『武将・剣豪と日本刀』(笠倉出版社)という図解書です。
(ISBN978-4-7730-9984-3C0076)
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すごいですね。
何が凄いって、コンビニでこんな雑誌が売られていることです。
少し前なら、大きな書店でも、何年も売れていないような一番上の方に眠っていたような種類の本です。
ここ数年、歴史ブームなんですね。

 

NKHの大河ドラマの影響もあると思います。
去年は、ブッキーの「愛」の直江山城守殿です。
そして、今年は、人気の「龍馬伝」です。

 

幕末といい、戦国といい、いろんな人物が登場します。
その中で、私はこの人が好きとか、この人物が自分に似ているとか、個の人物を見つけることが出来ます。

 

そうすると、その興味が深くなります。
マニアックな話に、加速的な深まりに進みます。
歴史マニアの出来上がりです。

 

歴史には、秘話という言葉が付き物です。
歴史は、正史だけでなく、秘史もあります。
歴史は夜に作られるとも言います。

 

歴史は繰り返すと言います。
もっともです。
温故知新は、多くを学ばせてくれます。

 

その中で、歴史の上で人をひき付けるのが、武将や剣豪です。
刀というアイテムが、常にそこにはあります。
武士として、如何に生きたのか、人として如何に生きようとしたのか、精神性を見出すことが出来ます。

 

武将や剣豪も何振も刀を持っておられるはずです。
その中にあっても、常によく所持し肩身はずさず持ち歩くものが、「刀」ですね。
武士の精神的象徴です。

 

滅多なことでは、刀を抜いたりしません。
刀を抜く時は、死を覚悟するときです。
子供の使うナイフとは違います。

 

その所持した刀が、今でも伝わっています。
これも凄いことです。

 

古い刀なら、平安時代鎌倉時代に遡ります。
古刀と呼ばれます。
安土桃山時代以降に作られた新刀とは、すこし分類を分けています。
何とも青白いそれで居て曇りのない、まさしく「ザ・日本刀」を感じます。

 

これらの武将や剣豪が所持した刀には、多くにその呼び名が付きます。
この雑誌には、「義元左文字」(建勳神社所蔵)を一番に持ってきています。

 

そう、信長が今川義元桶狭間で打ち破った時に、手に入れた義元愛刀の「左文字です。
信長は、この刀に金像嵌名(金で記す)で「永禄三年五月十九日 義元討捕刻彼所持刀 織田尾張守信長」と記させます。
よほど嬉しかったと見えます。

 

私もこの刀を目にしたことかあります。
やはり、その文字をじっと見ましたね。
戦国時代の天下覇者への最初の一歩です。

 

この刀を信長が、実際手にしていたところを想像するだけで震えそうになります。
手にしたものが、そこにあるのですからね。

 

日本刀の刀の名前には、その謂れや秘話が盛りだくさんです。
そして、その名前には、仏法世界と関係するものもあります。

 

足利義輝所持の「大般若長光は代表格ですね。
大般若経典は、600巻もある長い経典です。
その代付(だいづけ)、つまり代金の付けた値段が当時の600貫です。

 

この本によれば、現在価格で3000万円ぐらいと記されています。
赤い跳馬、高級スポーツカー、「フェラーリ」と言ったところでしょうかね。
まさしく、品のいい駄洒落ですね。

 

しかし、代付(だいづけ)とは、本当の買った値段ではなく、それくらいの価値があるという意味に使われます。
相場ということですね。
江戸時代でいうと、600貫は、おおよそ小判計算で300両です。

 

天正19年(1591)の刀剣書「諸國鍛治代付の事」には、最高は百貫です。
そこには、宗近、吉光、國綱、行平の名があり、次いで五十貫で正宗の名が記されているようです。(『新・日本名刀100選』佐藤寒山著 秋田書店参照)

 

それらからも特別扱いされた刀です。
大般若長光は、長篠の戦の恩賞に、家康から家臣奥平信昌に与えられたものです。
長光の傑作の一振です。
もちろん、国宝です。

 

家康にとって、長篠の戦が如何に重要なものであったかが、伺えます。
この戦なければ、徳川の世になっていません。
こちらは、まだ見たことがありません。
しかし、もっとも今までに目にした名刀の数では、長光が一番あることは間違いです。

 

歴史にはこうした秘話と同時に、その時代の証明品があります。
日本刀という、今の世にあっては道具しての価値は薄いけど、そこにあるだけ価値があります。

 

日本刀は、やはり武器です。
ところが、単なる武器としてでなく、精神の支柱して、古人の世界観に思いをめぐらします。
それが歴史の面白さと感じています。

 

今も歴史になります。
自分自身の歴史です。
そして、このブログも私がこの世にあったという記録です。
このご縁にありがたいと感謝です。

 

また、読んで下さる方があってのブログです。
そんな方々にも感謝の念が耐えません。
ありがとさんです。

 

今日もすこし時雨れています。
平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、時代もばっさり切れない話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。