''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

気持ちは、すでに柏餅ですか?

昨日は暖かかったですね。
春の陽気より初夏を思い出しました。
そんな京都です。

春の桜の季節とあって、今日も花見の宴があたらこちらで見かけられそうです。
朝方少し雨が降っていたものと見え、朝に地面が少し濡れていましたね。
しっとりとした感じです。
来週、もう一度気温の下がる時があるようなネットの天気予報です。

少しブログのアップを終えたら、散歩がてら名残の花見に向かおうかと思っています。
先日暖かい日がありましたよね。
仕事場のY支配人からの差し入れです。
柏餅です。(まんじゅうは怖いないですよ)
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この時期なら、桜餅でしょうが、陽気に誘われて、柏餅の気分だったのでしょうね。
ありがたいと頂戴しました。
すると、隣のフロアーのMさんから、桜の湯のみに渋めのお茶です。

これが何とも美味しい。
いつもおば様Mさんの入れる緑茶はうまいです。
♪ ねぇ、おばさま~ (浪曲「自転車と竹田宮様」より)
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ほんに少しだけ濃い目です。
この濃い目が、柏餅の餡の甘さとコラボします。
お茶を飲むというより、喫すると言った感じです。

先日も入れて頂いたお茶や頂いたお菓子を写真に撮っていると、不思議そうなお顔です。
「私、ブロガーなんで、日常を写真に撮っているんです」
と言い添えました。

もちろん、いつも美味しいお茶頂いていますという、お礼とこのお茶も写真にします。
そして、ブログにも乗せるんですよと、言い添えました。
信じて頂けたかどうか不明ですが、私を知っている人には、ブログ名とかは言いません。
ブログをしていると言うことだけしか、伝えていません。

この大切なブログに日常を持ち込まれても困ります。
バーチャルであるが故に、書きたいことを書き、言いたいことを言います。
それだけです。

いつも気さくなおば様です。
50代台半ばと言うところでしょうかね。
アイドルの「嵐」が大好きという気の若いおば様です。
大野君ファンというから、なかなか通でしょうかね。

気持ちが若いのはいいですね。
関西でいう、おばはんには成っていらっしゃらないですね。
穏やかな「おば様」と言う感じです。
あんな年のとり方はいいと思います。

私も40代の中年です。
物静かに、穏やかに、ダンディーな男に憧れます。(ゲッツーとは言わずにね)
なかなか成れません。

イライラ虫が、集団発生しているような仕事場です。
使った物を片付けよと、60歳をすでに回った方に、注意をしないといけないような状況です。
何故、常識の枠で生活されないのか、仕事をされないのか、不思議でたまりません。

人の世の中には、いろんな方がおいでです。
この人の世にあって、天に住するような方も、この人の世に過ごします。
餓鬼、畜生に住する者も、間違ってこの人の世に住します。

人の心にも、餓鬼、畜生の心が住むこともあります。
もちろん、天が住む事もあります。

悪さもするし、善も行う。
人はそんなものかもしれません。
池波正太郎著の鬼平犯科帳「土蜘蛛の金五郎」で、平蔵が言うセリフですね。
何とも含蓄のある言葉です。

人の心には、神も悪魔も共に住する恐ろしい生き物です。
それを制するには、なかなかの修練が必要です。
物の善悪は、まさしく相対的ものです。

仏法世界では、すべてが悪であり、すべてが善という絶対的な世界です。
すべてが悪とは、不思議でしょうね。
でも、人が生きるは何かの犠牲の上に存在します。
何かを食するということです。
生きるということは、何かを犠牲にすることです。

存在そのものが、ある意味「悪」とも言えます。
でも、仏縁の中にあって、この世に住することは、悪ではありません。
悪になるか、善になるかは、心の持ちよう、人の生き様に関わってきます。

今あることは、偶然の偶然、つまり必然です。
あるが故に、ここにあると言うことです。

今あることを自覚して、今あることに感謝すれば、物事の善悪が少しは見えるように感じます。
まだまだ修行の身です。

人の悪さに、おろかさに腹を立てています。
そんな自分におろかさを感じます。

それを取り除いてくださるのが、観音様ですね。
腹立ちもイライラも穏やかに鎮めて下さいます。
ありがたいと、日々の生活の中で、よくよくその名を一信に唱えます。
すこし、心の平穏が戻ります。

今日も一日、私の世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、甘くない話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。