''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

なごりの桜と花筏(はないかだ)

昨日は名残の桜を見に行きました。
散り行き桜ですね。

疎水には、散った桜の花筏(はないかだ)が見えます。
何とも風情があります。
今日の雨で、散った桜の花びらで、疎水はピンクに染まります。
本当に綺麗です。
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「散り行きて 水面に浮かぶ 花筏(はないかだ)」
今日は、和歌でなく俳句にしてみました。

花筏(はないかだ)というと、落語の「花筏」ですね。
もともと講釈話でもあり、古くからある上方落語「提灯屋相撲」を、三代目三遊亭円馬が東京に移したのとネットに書いてあります。

東京では、銚子でする興行の相撲話です。
関西では、桂米朝門下や笑福亭門下が、この「花筏」で演じています。
場所は、郷里播州高砂です。

大阪では古くは、滋賀の長浜に設定することが多かったようです。
どちらも奉納相撲として、相撲の興行があった地であるというのがご縁でしょうね。
演者も、どちらかというとほっちゃりした相撲取りのような方が、話も盛り上がります。

話というと、替え玉の話です。
替え玉と言っても、講義の代返や、国会で代わりに横の議員さんの決議ボタンを押すのとは訳が違います。
相撲の大関の替え玉です。

相撲の親方が、知人の提灯屋七兵衛の家を、訪ねます。
部屋の看板力士・大関花筏(なはいかだ)が患い、明日をも知れない容体だという。
親方、高砂で相撲の興行を請け負ったが、どうしても断れないというので、提灯屋の七兵衛に代役を願います。

もちろん、七兵衛は相撲取りのようにでっぷりとしているという前提です。
高額の日当も出す。飲み食い付きの至れり尽くせりの話です。
当然、病気と言うのは高砂でも知れていますので、興行に顔を出すだけで、興行主の顔は立つということになっています。

いい話ですね。
絶対に相撲はとらないという約束のもと、この替え玉を引き受けます。

ところが、なかなかうまくいきません。
酒は二升に、大飯食らい、夜這いして女中に手は付けるとくれば、病人でなくだいぶ快方していると言う話になります。

それで、我こそはという者と相撲をとるはめになってしまいます。
相手は、替え玉とは知りません。
殺されるかもしれないと、周りの人に脅されます。

本物なら怪我は覚悟の上でしょうね。
しかし、提灯屋です。
相手が、尻もちを付いて、大関花筏の勝ちです。

決まり手は、提灯屋だけに、張り手(貼り手)です。
♪ ちゃんりん ちゃんりん でんでん。

花筏とは、なかなか上手な表現です。
花びらが流れると言うだけです。
しかし、そこには、そこはかとない情緒があります。

いとおしい、切ない気持ちです。
待ち望んだ桜の花、過ぎ行き春を思います。
来年までの楽しみです。

夏が来て、秋が来て、そして辛い冬が来ます。
また、春の到来を待たないといけません。
四季の移ろいに、涙もハラハラ舞い散ります。

今日も、ありがたいことに生かされています。
ありがたいと感謝の気持ちでいっぱいです。

桜の花に、「ありがとさん」です。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、提灯記事にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。