''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

初夏便り なまり節と茗荷と胡瓜の甘酢和え。

春というより、初夏という京都伏見の天気です。
暖かい日差しです。
昼過ぎなら、汗ばむ夏日となるでしょうね。

昨日は、いろいろとトラブル続きの状態がありました。
右と左の両手に携帯電話をもって、何やら上田ハローか、為替相場師の様相です。

右と左の相手も、話の内容も全く違っています。
器用に右の電話では、お怒りモード、左の電話では、クレーム対応ですね。
聖徳太子といえば、10人(一説には36人)の言うことが聞き分けられたと聞きます。

人の言うことを聞くという作業は、なかなか骨の折れる作業です。
仏法世界でも、「多聞」(たもん)という文字をよく見かけます。
多聞といえば、多聞天さまですね。 別名では、毘沙門天 さま(びしゃもんてん)ですね。
仏法世界の守護神の四天王および十二天の一人で、いずれの場合も北をご担当されています。

人間社会でも、多くを聞くと言うことが大切です。
それでも、聞くのには限界があります。

聖徳太子と言えば、仏法を厚く帰依された方です。
日本書紀』または『太子傳』によれば、推古天皇の勅命により、御前講演を遊ばしたと記載があるようです。

法華経とは、如来の妙義なり」と、岡本宮でお説きになられ、「それらを天皇命婦以下を率いて、亦以って聞き看そなはしたまひ」、7日も続いたようですね。
推古天皇はおおいに喜びれて、播磨国の水田260町を太子に褒美として与えたと記載があります。

郷里播磨には、聖徳太子ゆかりの場所も多いですね。
太子町というのかあります。
この間の「揖保の糸」で有名な揖保郡太子町ですね。

行政再編で、揖保郡は太子町のみになっています。
もともと、太子町も、鵤(いかるが)村、から斑鳩村、そして斑鳩町というところが昭和26年太子町に合併で出来た変遷があるのを、今回初めて知りました。

太子町に私の伯母が住しています。
齢80は既に超えています。
元気で長寿を祈るばかりです。
この260町の田が、この地か、他の地か不明ですが、播州と太子とは深いご縁があります。

講義をするだけではありません。
それだけでなく、『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)を記されています。
三経義疏』(さんぎょうぎしょ)とは、『法華経』・『勝鬘経』(しょうまんきょう)・『維摩経』(ゆいまきょう)の三経の注釈書の総称です。

講演だけでなく、解説書も作られると言うのですから、政治家ととしても学者としても大変有能な方であったのが、よく分かります。

この『法華義疏』のうち、聖徳太子の真筆と伝えられるものが御物となっており、現存する書跡では最も古く、書道史においても重要な筆跡であると記されています。
もちろん写真ですが、この書物の文字を見たことがあります。

書は、その人の書いた文字は、人を表します。
一筆一筆の息遣いを感じます。
日本の礎を作られたあの聖徳太子の書かと(初夏と)思うと、なんともぞくぞくしてます。

やっと、初夏にたどり着きました。
初夏と言えば、私は「なまり節」です。
特に、甘酢の酢の物が一番好きです。
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塩した胡瓜と刻んだ茗荷を一緒に和えます。
和を以って尊しですね。

なまり節の淡白な味わいと、かつおの皮や腹の脂が、甘酢に馴染んで美味いですね。
いやいや、ビールでも日本酒でも、大変合います。
イチラーですから、一味唐辛子もフリフリします。

塩した胡瓜と、シャキシャキの茗荷の取り合わせが堪りません。
口の中で、幸せの和音を奏でます。
♪ 夏が来た~
大黒 摩季さんの歌声が聞こえます。

初夏の便りです。
多くを聞く、多聞も限界があります。
時に忘れることも必要です。
嫌なことは忘れるに限ります。

そんな時は、なまり節の甘酢の茗荷をたっぷり乗せます。
茗荷を食べると、物忘れが多いといいますからね。
嫌なことを忘れることに限ります。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせるように祈ります。

最後まで、話のオチを忘れた話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。