''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

蕎麦はもりに限る、これぞ金言かもしれない物語より。

よく降った台風の影響の雨でしたね。
梅雨ですから、そんな言葉も、当てはまらないほどの大雨長雨でしたね。
そのため、日曜からも、家に居ることが出来ました。

そうそう、土曜日に、先日逝去された名優児玉清 の追悼番組をNHKがされていましたね。
大河ドラマ龍馬伝』では、坂本八平の役を演じられていましたね。
死期が迫る龍馬の父八平殿の名演です。

家族全員で桂浜にて、龍馬の夢を浜辺で、父八平がじっと見守っています。
黒船を作って、その船に家族を乗せて、世界を回るというのです。
この時代にあっては、途方もない夢です。
それを生き生きと語る龍馬、それを馬鹿げたとも言わずに、そんなことを考えていたのかと、褒める父です。

台詞と台詞の間に、言葉でない伝わるものがあります。
見ている私の頬にも涙が流れます。
「無舌」ともいう芸の極みです。
自ら、その死期を感じていたものか、それは不明ですが、名優・児玉清の最後の集大成がそこにありましたね。

大変好きなシーンをもう一度見れたことに、大層気分が良かったです。
多くの方が、それをもう一度見たいというのです。

やはり、児玉清さんは、私の心にも存在する名優です。
何年経っても、龍馬の父八平は、この方ですね。
昭和平成の名優です。

その台詞の言葉は、まさに金言です。
金言と言えば、私にはあれです。
「呑まぬくらいなら、蕎麦屋に入らぬ」
池波正太郎氏の金言です。

休みの日に、蕎麦屋に行くと必ず、この教えを守っています。
もちろん、酔う場所ではありません。
一時の癒しの場所です。

もちろん、食事時は外します。
2時か3時の遅い時間に伺います。
ゆっくり出来ます。

呑むと言っても、板わさ、出し巻きなどの酒の肴を取りながらというより、寒い時期なら、卓袱蕎麦などの、おかずの入っている蕎麦が多いですね。
玉子焼き、甘辛く炊いた椎茸、海苔、かまぼこ、かしわなどが、蕎麦の上に鎮座しています。

寒いときは、温かさでもご馳走です。
時に、ちらし蕎麦でもいいですね。
もちらも、おかずが乗ったそばです。

冷たい田舎蕎麦もいいですね。
たまには、天ざるもいいいし、ネギの入った鴨なんばんもいいです。
それでも、そば「通」は、「もりに限る」と言います。
ザルそばでなく、もりそばです。

その違いは、いろいろ店によってあるのかも知れませんが、俗に言われるのは、刻み乗りが乗っているかいないかの違いが、多いですね。
その海苔の香りさえ、そばの香りを邪魔するといいます。

ですから、そば通は、もりに限ると言うのでしょうね。
私はどちらでもいいです。

それほど、そば通ではありません。
美味しければ、それでいいです。
酒が美味ければ、そばが美味ければそれでいいです。
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家でも生そばを買って来て、家で湯がきます。
もちろん、硬めに湯がきます。
冷たい水で、〆ます。
水気をしっかり切って、皿に盛ります。

もちろん、このときは、ザルそばでなく、もりそばです。
自分で湯がいたそばも香りがいいです。
硬さもいいですね。
好みのそばつゆに付けて頂きます。

喉越しも香りもいいです。
鼻に抜けるそばの香りがいいですね。
その香りの尻尾の長いこと、長いこと、余韻があります。
その残り香を愛しむように、冷の酒をゆっくり流し込む。
今一度、そばの香りが、無性に愛しい、愛しい、無性に逢いたくなります。

その欲望に負けるかのように、そばを手繰り、口中に納める。
「うまい」
その余韻の長いこと長いこと。

皿に一本残っています。
これが、今生の別れのように、箸でつまみ、口中に投じます。
一気に、ぐいのみに残った酒を煽ります。
次回までの別れです。

こんな儀式が、家でもあります。
少し痛いですね。
それにしても、こんなものが、これほどに愛しいとは、日本人と生まれて、万感の極みを感じます。
ありがとさんです。

私はありがたい仏縁を頂いています。
これが無性にありがたいです。
静かに手を合わせます。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、身近な日常傍らの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。