''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

ソース味の焼そばを食らうより。

朝から穏やかな日差しが、裏庭に差しています。
昨日は、すこし宇治の方に行っていました。
曇り空ながら、腕が真っ赤に焼けています。

紫外線は曇りも強いのですね。
見えない光りが、見える瞬間でもあります。

どうも休日の昼ご飯と言えば、焼そばが食べたくなります。
子供の頃、日曜日の10時頃、日清焼きそばのCMが刷り込まれています。
♪日清 焼きそば 焼こう~
もちろん、袋の即席焼そばです。

焼そばと言うには、微妙な味わいですが、これはこれでうまいです。
懐かしい味に、時々食べたくなります。
青海苔と乾燥したしょうの入った袋が、なんともいいです。
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早速、ソース味の焼そばを作りました。
ウースターソースとお好み焼ソースをすこしブレンドしたものにしました。
焼そばの上に、鰹節と一味をたっぷりです。

豚肉もたっぷり、キャベツもたっぷり、入れました。
なかなか美味いです。

この日は、紅しょうがが切らしていました。
しょうがないです。(今日は、ここしか笑うところないですよ。ねぇー、とおるちゃん!!)

しょうが大好きな私としては、焼そばにしょうがは欲しいです。
悲しいかな、冷蔵庫には常備していません。
焼そばやお好み焼以外では、なかなか使いません。
口の空けた紅しょうがは、すぐに風邪をひいた状態になりやすいです。

料理の世界では、よく「風邪をひく」といいます。
冷蔵庫に入れておいて、乾燥させた状態で、味が分りやすくなるからです。
この状態が、風邪をひくと言うようです。

料理の用語に、「兄貴(あにき)」という言葉を使います。
先のものですね。
古い物から、使い切ります。
袋の口が開いたものがあれば、それから使い切るのは、もちろんの事ですね。

○○は、兄貴があるから、それから使えって、声がかかります。
兄貴に対して、弟とは言いません。
不思議な用語がいっぱいです。
業界業界に、不思議な隠語があります。

符丁(ふちょう)とも言いますね。
ある古いお店では、1から10の数字をこの符丁でいいます。
1は「う」、2は「ら」、3は「の」、4は「み」、5は「せ」、6は「さ」、7は「か」、8は「え」
、9は「る」、10(もしくは0)は「な」です。

通して言うと「うらのみせさかえるな」(裏の店栄えるな)という言葉になります。
なかなか思い呪術のような怖い言葉ですね。

これに、100や1000、10000という意味の言葉が存在するわけですよね。
江戸時代から、客の前でも、店の者同士で、値段を言えるわけです。
お客が違えば、値段も違うわけです。
この頃の商売は、シビアーな世界ですね。

客に対して、値段が違うのは、当たり前の状態が今でもあります。
仕入れ値ですね。
1個買うのと、100個買うのでは、値段が違います。
もちろん、その数が多くなれば、一つの仕入れ値が安くなります。
それが商売です。

しかし、一昔前は、商品に定価と言う値段が付いていました。
売店で、私たちが買う時の値段です。
今や、定価という概念がありません。
オープンという決まっていない値段です。

ネットで調べると、例えば同じ商品が、2万~5万円と価格の定まっていないことも多いです。
ネットで購入するメリットがそこにあります。
翌々日には、手元に届きます。
ネットの参入で、商売のスタイルも変わりました。

客によって、異なる対応が、仏法世界なら待機説法です。
その待機説法も、時代が変わると方法も変わることもありえます。
私が、このブログで、仏法世界を凡夫の立場から、いろいろと書き記しています。
一つ、一つ、自分も勉強です。
ネットで、そうした先達の書き記したものを、読んだり、探したりしています。

そうした相対的な世界の中で、絶対のものもあるように感じます。
真理ですね。
生きるというのは、どういうことか、どこに向かおうとしているのか、疑問を持ちながら、歩みます。

仏の世界に引き込まれることもあります。
特別な幸せはありません。
日々の暮らしの中で、それらを探します。
落ちている「よかった」を拾う方法ですね。

ゆっくりとした歩みが、この道を進めば、きっと長安に繋がると信じています。
ありがたい仏縁に感謝しています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、しょうがない(生姜無い)話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。