''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

朝から体調が悪いです。病であっても好日です より。

朝から、どうも体調が悪いです。
背中が、ぞくぞくします。
喉が痛くて仕方がない。
頭を痛いです。

これらからすると風邪ですね。
流行のインフルエンザの疑いもあります。
でも、体温が37.4℃と、熱があります。

インフルエンザなら、38度以上にはなります。
一度熱を出してしまえば、それでひとまず終了でしょう。

どちらにしても、今日は休息を取ることにしました。
なんやかんやで、一日フルに休みを取るのは、久しぶりです。
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これって、「鬼の霍乱」(おにのかくらん)です。
節分の鬼の面があったので、写真に使いました。
いろんな処に使い回しができます。

「鬼の霍乱」(おにのかくらん)と言うと、いつも元気な人が、急に体調を崩すことです。
でも、本来は、日射病などの夏の暑い時期のことです。
なんでも、夏の季語と書いてあります。

少し季節の先取り過ぎです。
いくら流行に敏感でも、一気に夏はダメですね。
それとも、とん汁で、体を温めすぎて、体が変になったのかもしれません。

それでも、数と言うのは、凄いですね。
熱があると言われても、どれだけあるのか、分かりません。
体温計で測れます。
そこに出るのが数ですね。
デジタル体温計も使いやすいです。

禅の言葉で「測量」と言う言葉があります。
「そくりょう」でなく、「しきりょう」と読むようです。
禅の言葉と常識は、少し違います。

平常心と書けば、「へいじょうしん」と常識では、読みます。
でも、禅では「びょうじょうしん」と読むようです。
これどうよってね。

「測量」することとは、何でしょうね。
禅の臨済宗中興の祖・白隠和尚(白隠 慧鶴)が、若い雲水(修行僧)の前で、両手を叩きます。
どちらの手が鳴ったか、と尋ねます。

「両手」はだめですよ。
どちらが鳴った、と問われています。

何度もこの話を、このブログにも書いています。
白隠和尚の残した公案「隻手音声」(せきしゅおんじょう)です。
なかなか奥が深いです。

トンチではありません。
答えは一つじゃないと思います。
数学ではありせん。

それが、「♪ あぁだ こうだ 悩んじゃってなんて」、それはSUPERFLY 『愛と感謝』(作詞:越智志帆 多保孝一作曲:多保孝一)の歌詞ですね。
菓子だけに、そんな甘くはありません。(笑)

「不立文字」(ふりゅうもんじ)と言われるように、言葉では言い表せない奥深い禅の悟りですね。
法華経なら「妙義」でしょうかね。

白隠和尚が、中興の祖と言われるのは、それまで念仏や座禅をメインにして瞑想が中心だった修行を、公案を取り入れた禅中心に、変えたこととも言われています。

白隠和尚の師匠は、私の記事でも書いたことがある正受老人(道鏡慧端)です。
お母さんと二人間暮らしの隠遁生活です。
白隠和尚が、悟られたのは、26歳の時であったと聞きます。
不審者に間違われて、頭を箒の柄でコツンと叩かれた時に、何か会得されたと聞きます。

その会得された悟りの境地を、師匠の正受老人に語られると、そう認められたようです。
多分、対話ではない抽象的な世界です。
悟りを得た者だけが、分かる世界でしょうね。

白隠和尚、絵も書も独特の世界です。
細川家の至宝展にも、名宝中の名宝として、ありましたね。
細川護立氏が、コレクターとして有名ですからね。
私もお気に入りの、お宝でした。

どんな世界を会得されたのか、やはり興味はあります。
その中で、長生きしたければ、「食を控え、独り寝をせよ」と言われています。
欲を捨てることに始まる暮らしです。
自分を自制することが何より大切です。

病になって、初めて日常の元気をありがたいと思います。
それでも、元気の時も、病の時も、「日日是好日」です。
「鬼のかく乱」、日頃の不摂生、それもいい口実です。

池波正太郎氏の時代小説の主人公、鬼平こと、長谷川平蔵みたいに、嫌いな卵酒(愛妻久栄のお手製)でも飲んで、休めることにしましょうかね。
あー、私は、卵酒嫌いでした。(ソウルキング・ブルック的な言い回しで)
卵は卵と、お酒はお酒で、「別れ」にして頂きます。
それなら、京都の蕎麦屋のカツ丼みたいですね。

暖かくして、一日休みます。
いろいろ小難しいこと考えて暮らしているので、もしや知恵熱かもしれません。

日々の暮らしの中に、幸せはあると思っています。
ありがたい仏縁に感謝です。
今日の休息もありがとさんです。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。
それが願いです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせることを祈ります。

最後まで、両手広げた温情深い話に、心よりお礼申し上げます。