''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

寒い時には、とん汁で、心も体も温まりたい より。

朝から、どんよりとした曇り空の天気です。
冬の寒空です。

 

前に、かす汁作った話を記事にしました。
寒い時には、汁物ですね。
先日も、とん汁を作りました。

 

具たくさんのとん汁です。
豚肉、小芋、人参、豆腐、揚げさん、ネギ、白菜、蒟蒻、玉ねぎなどです。
小芋は、郷里から送ってもらったものです。

 

小芋入れると、少し贅沢な気分です。
私は、じゃがいもを入れるのも大好きです。
単に、芋好きです。

 

じゃがいもの、ざらっと舌さわりがいいですね。
それでも、寒いとこうした芋類が、ぐっと美味く感じます。
豚肉の脂と、揚げさんの油が混在して、汁の具材の旨味を一つにまとめます。
人参も豆腐も美味くなります。
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天には刻んだネギを少し盛りました。
もちろん、イチラーですから、一味唐辛子もふりふりです。
カプサイシン効果で、体も温まります。

 

これには、熱燗が似合います。
具沢山にしたのは、肴にするためです。
寒いときには、蒟蒻がいいですね。

 

俗にいう蒟蒻の入った「たぬき汁」もいいです。
かす汁やとん汁には、必ず、蒟蒻を入れます。
食感がいいです。
男子たるもの、たまには「砂おろし」の為に、蒟蒻は体にいいと、古くから言われます。

 

今晩も、とん汁にして見ます。
後はしみじみと、落語なんか聞くのもいいですね。
そう言えば、今日2月19日は、七代目松鶴の誕生日だったと記憶しています。
1952年生まれですから、存命なら、還暦の60歳でしょうね。

 

還暦の松鶴も聞きたかったです。
あの「あーちゃん」という六代目松鶴ではありません。
仁鶴や鶴瓶の師匠の六代目松鶴ではありません。

 

前名・笑福亭 松葉(しょうふくてい まつば)さんです。
死後、7代目を追贈された。幻の七代目松鶴です。
本名は倉本 雅生、享年44歳と、若すぎた死出の旅路です。
吉朝さんといい、円熟した芸を期待していただけに、残念です。

 

痛快!エブリデーの司会でも、お馴染みでしたね。
人間味ある持ち味が、芸にも表されていました。

 

こんな寒い時期には、夏の話、『遊山船』なんてどうでしょうね。
男二人して、夏の暑い日、夕涼みに来ています。
ボケと突っ込みの二人です。

 

橋の上から、河に浮かんだ「大屋形」の舟を眺めています。
大屋形と言っても、大工棟梁とは違います。
それは、親方です。
屋形船の大きいのが、大屋形です。

 

客や大勢の芸者や、板場も完備した豪華客船並の拵えの舟です。
江戸の大川とかに、浮かんでいるお座敷のある船ですね。

 

ボケ担当の喜六です。
突っ込み担当のちょっと知恵のある清八です。
喜六は、芸者を知りません。
「出てる奴ゃ」、「玄人」やと言っても分かりません。
どんだけボケやねん。

 

芸者を「芸州」と粋に呼びます。
客を「キャ」とこれまた粋ですね。

 

船では、鰻が出ています。
突然、ボケの喜六が、自慢げに好きで、よく鰻は食べると言います。
でも、形が違うと言います。
そら、あんたの言うのは、「半助」ですね。
鰻の頭や尻尾です。

 

鰻に胴があったことを、28年間知らなかったと言います。
それも幸せです。
半助が、あれだけ美味いなら、胴はどんだけ美味いのかと言うことでしょうね。

 

食べ物といい、風俗といい、浴衣の模様柄といい、大阪の元気な時代を感じます。
金持ちは、贅沢をして金を使い、その景気の歯車で、下々まで暮らしていけた時代です。
現代とは大違いです。
金持ちと、庶民の差がありません。
高級外車か、普通車か、その普通車と言っても、庶民でも今や普通に「3」ナンバーですからね。

 

子供の頃、「3」ナンバーと言うたら、モータープールも、外車や「3」ナンバーお断りという看板もよく見かけましたね。
どんだけ前の話と言われても、昭和の50年代まで、バブルの前でそうでしたね。

 

モータープールと言われても、関西圏以外では通じませんね。
駐車場のことですね。
車をプールするからです。
ですから、行っても水もありませんし、泳ぐことも出来ません。

 

庶民でも、地デジのテレビは、40型以上なんてよくあると聞きます。
そんなの御大尽の暮らしです。
食べ物も、それほど違いはないでしょうね。
商談の接待なら、会席も出ましょうがね。

 

現代では、金持ちと庶民の差が、あまり違いの無い時代です。
貧乏人と、金持ちの違いのあった時代も、落語を通して見えます。
からと言って、落語の庶民は、卑下しません。
金持ちが特別ですからね。
景気をよくするお得意さんです。

 

金持ちは、船の中で橋の下から、庶民は橋の上から、同じ夕涼みです。
禅語「竹に上下の節有り」の区別のある娑婆世界です。
上の対句「松に古今の色無く」があって、初めて意味を成します。
松葉さんが亡くなっても、その落語は、今でもCDで聞いていますよ。

 

この世には、不平等も、平等もあります。
それも当然の事です。

 

金持ちには、金持ちの悩みがあり、いいことばかりではありません。
いつ倒産するか分かりません。
そうなれば、惨めです。

 

その点、貧乏人は、至って平気ですね。
もともと貧乏ですからね。
逆に、一攫千金で、金持ちになれるチャンスもあります。
でも、そうなったら身を持ち崩して、終わりです。

 

自分の分にあった暮らしがあると思っています。
私の好きな禅語に「雲在青天水在瓶」(雲は青天に在り、水は瓶に在り)があります。
薬山和尚言葉のようです。

 

自分の居場所は、自分の場所にあります。
雲は天にあって、手に持っている水差しの瓶の水は、ここにあります。
レミングの右手の法則ですよ。

 

金持ちもなってみれば、辛いことも多いでしょうね。
泥棒とかには、気を使います。
人にもよく騙されます。
意外と、貧乏人になった方が、楽しいかもしれません。
それは、貧家のひがみです。

 

寒い部屋で、コタツに入り、具沢山の熱々のとん汁を肴に、熱燗を呑む。
至福です。
これを幸せと言わずに、何と言えます。
極楽です。

 

もっと、贅沢な極楽もあるでしょうが、私にとって居心地のいい、極楽です。
し・あ・わ・せです。
水は瓶にありますが、酒は銚子に入っています。
少し、調子に乗りすぎですね。(ここしか、笑うとこないです。ねぇー、とおるちゃん!!)

 

そうそう、おイカリにならないで下さい。
「さても汚いイカリの模様、質に置いても流れんよぉに」
これが落語のサゲです。
独り(一)手酌で、「お流れ、ちょうだい」とは言いません。

 

松葉さんこと、七代目松鶴のご冥福を祈ります。
還暦に乾杯です。

 

日々の暮らしの中に、幸せがあります。
ありがたいことに、私は仏縁を頂けています。
ありがたいと感謝です。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それが願いです。

 

今日も明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈ります。

 

最後まで、6か7か8かのトンと不思議で数奇な話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。