''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

北浜のバラ園 可憐なバラ グレイス より。

今週は、先週土曜日に行った北浜のバラ園の特集をしています。
それにしても、一言でバラと言っても、多くの種類があることに驚かされます。
品種改良が進んで、新しいバラがこの世に出ます。
時に無くなってしまう品種もあるでしょうね。
人気不人気によって、大きく左右されます。

芸能界も同じです。
多くの新人が、これほどと言わんばかりに、後から出てきます。
俳優しかり、芸人然りです。

その中にあっても、一番の絶頂時に、芸能界を引退してスターも多いです。
山も峠を過ぎれば、後は下り坂ですからね。

日本なら山口百恵さんでしょうね。
あれほど綺麗に芸能界を退いた方は居ないでしょうね。

私も中学生の時、著書『蒼い時』を読みました。
いろいろな試練なの中、スターの階段を昇ったと感じましたね。
タレント本かと思っていましたが、最近まで実家の本箱にありました。
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アメリカのスターも結婚を機に、そのスクリーンから去ったスターも居ます。
バラ園のバラの名に、「グレイス」というバラを見つけました。

グレイスと言えば、グレースケリーですよね。
私たち世代には、すでに過去の銀幕スターでしたが、その名はよく知っていました。
どうも、「グレース」と呼ぶより「グレイス」と表音した方が、何だか馴染みますね。

グレース・パトリシア・ケリー(Grace Patricia Kelly、1929年11月12日-1982年9月14日)は、モナコ公国レーニエ3世大公妃、アメリカ合衆国の元女優。
映画監督アルフレッド・ヒッチコックのお気に入り女優で『ダイヤルMを廻せ!』『裏窓』『泥棒成金』などの作品でヒロインをつとめている。
(Wikipedia参照)

ですから、グレースをイメージした花が、その死後「プランセス・ド・モナコ」(1982年 メイヤン作)として、彼女に献呈されることになっていたバラがあります。
ピンクと白の2色は、モナコの国旗をイメージしていると言います。

北浜のバラ園の「グレイス」も、可憐はバラです。
2002年の全く関係がないのかもしれません。
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私のイメージは、よく似合います。
81年の事故のニュースは、記憶があります。
彼女の名前は、映画だけでなく、よく聞くバックの名前でもあります。
私でも知ってるエルメスの「ケリーバック」ですよね。

1957年に長女の妊娠をマスコミに悟られないようエルメス社のバッグ「サック・ア・クロワ」でカメラから腹部を隠した。この事でバッグが有名になり、商品は「ケリーバッグ」と改名された。 (Wikipedia参照)

モナコと言うと、F1のモナコグランプリのイメージです。
それに大金持ちの国という認識しかありません。

それまで、モナコの位置付けがよく分からなかったです。
世界で2番目に小さな国のようです。(一番小さいのは、バチカン市国でしょうね)
世界地図で見てもよく分からないですね。

少し調べると、統治者を国王でなく、大公と呼ばれるのも不思議でした。
もともともモナコ領主という肩書きに、大公という名称を与えたもののようです。
日本で言えば、維新に明治政府に統合しなかった独立した藩のようなものと思えばいいのでしようかね。

宮崎駿監督の『ルパン三世 カリオストロの城』のイメージにも、少し重なります。
お姫様「クラリス」と「グレイス」なら、韻も近いです。
モデルになったのは、リヒテンシュタイン公国とも言われています。
公国、大公の言葉も、おなじ郡市国歌のしょうね。

映画はアニメですが、名作でしたね。
「奴はとんでもないものを盗んでいきました。あなたの心です」
そんな銭形警部の名言を、お好きな方も多いでしょうね。

私は、「あぁー何ということだ 。その女の子は、悪い魔法使いの力を信じるのに、泥棒の力を信じようとはしなかった。その娘が信じてくれたなら、泥棒は空を飛ぶ事だって、湖の水を飲み干すことだってできるのに・・・」の台詞が好きですね。

同じような言葉が、禅の言葉禅語にあります。


「吸盡西江水」(ぎゅうじんすせいこうのみず)です。
「一口に吸盡す、西江の水」(いっくにぎゅうじんす、せいごうのみず)を略したものです。

馬祖道一(ばそどういつ)が、龐居士(ほうこじ)の問いに対して答えた答話の中の一句とあります。(『禅語の掛軸 一行物』芳賀幸四郎著 淡交社刊 参照)

早い話が、満々とたたえる西江の水を一気に飲み干したら、悟りの境地に達することが出来ると言う様な意味だと解釈しています。
水は利根川でも、鴨川でも、琵琶湖の水でも同じです。

問答自体は難しいので、要約するとそんな意味だと思います。

湖の水を、人が一気に飲めるはずはない。
それは、相対観に生きる人間の話です。
絶対観の仏の世界なら、分けなく容易いことです。

私なら、西江の水は、飲めなくても、コップに入った西江の麦水(ビール)なら一気に呑めますよ。
何ならお替わりも出来ます。
「一口吸盡西江麦水」でどうでしょう。
それならだけでも出来ると、爆笑は要りません。

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁を頂けています。
ありがたいと感謝して暮らしています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、整合性のない話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。