''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

鱈(たら)の常夜鍋にて、まずは一献参る より。

朝から寒いです。
京都の底冷えは、体の芯から冷えます。
冷蔵庫のようです。

そんな時は、はやり鍋がいいです。
いつものように白菜と豆腐の常夜鍋です。
この日は、メインの材料は、鱈(たら)です。
美味いでよね。

少し生臭い時もありますが、白菜に鱈の出汁が、しゅんで(関西でいう味が滲みている事)、白菜や豆腐が美味くなります。
これには、やはりポン酢がよく合います。
魚の臭みも、多少緩和してくれます。
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もちろん、イチラーですから、一味をフリフリしています。
ピリ辛がいいんです。
カプサイシンの効果で、体も温まります。

これに対句するのは、熱燗の日本酒です。
次の日が、ゆっくりしないと呑めません。
やはり、熱燗はご馳走です。

劇画『ザ・シェフ』で、鱈鍋の話がありましたね。
大金持の老人が、料理屋の座敷を貸し切って、一人で鱈鍋を食べていました。
そこに、出食わせた味沢匠が、美味い物を作ってくれという仕事の依頼を受けます。

約束の日、大金持の家に、いつもは寄り付かない子供達が家族を連れてやって来ます。
家族は、味沢に手間をかけさせないようにと、自分たちで鍋の用意です。
大金持の老人は、味沢の作る料理を楽しみにして待っていますよ。

その間も、家族たちは鍋を用意しています。
鍋が煮上がって来ました。
取り皿のとんすいに、具材を入れて召し上がっています。
そこで、孫娘が、春菊が嫌いと泣き出します。

それを見かねた老人が、一緒に箸を付けてしまう。
あっという間に、鍋を完食して、次に雑炊を食べ始めました。

そうなると、もう満足です。
味沢の作った料理は食べられないと、申し出ます。

しかし、味沢はもともと料理など作っていません。
家族に連絡して、一緒に家族で食事をするように提案したみたいですね。
要するに、家族団欒が何より美味しい調味料になるということです。
また、それが何よりのご馳走です。

今日は、久しぶりの休日を取り、神戸で家族会の開催となりました。
1年ぶりの家族会となりましたね。

父と母が、郷里播州からやって来ました。
私は、京都からやって来ます。
ちょうど真ん中が、神戸辺りです。
元町でも、三ノ宮でも、神戸でも、この辺で食事をしています。

久しぶりの家族団欒の食事をした気になります。
父も来年は、喜寿を迎えます。
また、新年早々に家族会の開催が決定しました。

まぁ、したい時には、何とかと言いますからね。
出来る時に、まとめてやっておくのも悪くはありません。

私は、子供としては、あまりいい子供では、なかったですからね。
もっといい目もさせてやりたかったと、思います。
なかなかそんな風に上手くは行きませんが、とりあえず、家族会を出来たのは、良かったと思います。

私の今月のサブテーマは、「赤穂浪士」です。
『ザ・シェフ』の主人公、味沢匠の名前から、内匠頭を持ってくるのは、安易です。
しかし、今日は、鱈(たら)でいきますよ。

歴史には、鴨や鱈は御法度です。
その「かも」や「たら」ではありません。
仮説ですよ。

もし、浅野内匠頭が、松の廊下で、吉良上野介に刃傷に及ばなかっ「たら」、どんな世の中になっていたのか、現代まで変わっていたのか、分かりません。
多くの日本人の琴線に触れるものが、赤穂事件にはあります。

赤穂藩には、侍と言い得る者が、内海定治郎氏の説によれば、320余り居たと言われています。
その家族やそれぞれの家に仕える下男や下女を含めると、少なく見積もっても、1500~2000人は居たでしょう。
それぞれの人生を変えたことになります。
また、その子孫も人生も変えたことになりますからね。

320余りの浪士の内、47人以外は不忠と罵られます。
討ち入りをして、47士が名を上げた分、討ち入りをしなかった者は、赤穂の浪人とは名乗れません。
折角、新しく仕官した家でも、不忠者と罵られます。
再就職も不意になった者もいるはずです。

それが為に、後日切腹させられた者も居ます。
1000石の高禄を賜っていた岡林杢助(もくのすけ)は、最初から盟約には加わらず、江戸で暮らしていた。
旗本の兄・松平孫左衛門に、不忠者と罵られ、一族の恥だと言うことで、弟の左門の介錯切腹したと言われているようです。

最初から盟約に加わらなかったので、不義理ではないでしょうが、1000石以上の高禄をえていた者が、内蔵助以外誰も参加していないのは、やはり腑に落ちません。
平時は、高禄を鼻にかけ、藩で偉そうにしていたのなら、こうした時一族郎党すべての力を決して、討ち入りに参加するはずです。

そうなれば、赤穂浪士の討ち入りの数も、500人以上になっていた「かも」しれません。
仮にそんなことしたら、歌舞伎の忠臣蔵は、客より演者の数が多くなります。
てすから、47人という数も、芝居や歌舞伎には、赤穂は塩の名産地だけに、ちょうどいい塩梅です。(ここは笑うところです(^ω^) )

歴史に、「かも」や「たら」はありません。
今日は、マヤ暦によれば、最後の日になるとニュースでも報じられています。
まだ、終わっていませんから、終わるまでに、このブログも更新したいと思っています。

「明日ありと思う思う心の仇桜 夜半の嵐の吹かぬものかは」
親鸞上人作と伝わる和歌です。

毎日が、マヤ暦の最終日と思えば、自分がやることをやりきります。
そこに、人としての成長があるように感じられます。
そう肝に銘じたいものです。

24時間に振り回されるのでなく、自分が24時間を使っているのです。
まさに、主人公です。
偉い高僧と違い、「はーい」と返事すると、ちょっと痛い人ですね。

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁に感謝しています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、タラちゃんみたいに「です」調の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。