日が暮れた時間から、少し気温が下がります。
日の沈むのも早く感じます。
日の沈むのも早く感じます。
通常のサラリーマンなら、帰りに一杯引っ掛けて帰りたくなります。
ただ、仕事の行き帰りが、スクーターを愛用していますから、それは御法度の定めです。
ただ、仕事の行き帰りが、スクーターを愛用していますから、それは御法度の定めです。
それ以上に、外呑みより、家呑みが好きですね。
ゆっくりした静かに雰囲気で呑みたいと言うのが、私の性分です。
ハードディスクに撮り貯めた映像を、晩酌タイムのお供にしています。
ゆっくりした静かに雰囲気で呑みたいと言うのが、私の性分です。
ハードディスクに撮り貯めた映像を、晩酌タイムのお供にしています。
「タレで習字書いてみて!」と、ノリさんに振られても、一応乗っかって、タレが入った小皿を手に取って、「書けるか~い」とかわいい返しです。
同じ兵庫でも、日本海側の地方と、瀬戸内海の地方とでは、言葉がまったく違います。
子供の頃、日本海側に車で行って、道に迷って近くのタバコ屋のおばあさんに、道を訪ねても、言っていることが聞き取れなかったです。
子供の頃、日本海側に車で行って、道に迷って近くのタバコ屋のおばあさんに、道を訪ねても、言っていることが聞き取れなかったです。
最近は、そんなこともありませんでしょうね。
子供さんが、テレビの影響で、標準的な言語が、理解できますからね。
子供さんが、テレビの影響で、標準的な言語が、理解できますからね。
言語と言えば、本日のテーマ、韓酒とねぎま鍋です。
燗酒よかろうと、言えば、こ存じ赤穂浪士神崎与五郎則休(よごうのりやす)の銘々伝の浪曲『神崎与五郎 馬子の詫び証文』や、講談の「神崎東下り」「吾妻下り堪忍袋」と、大事の前の小事と、するが堪忍、耐えるが堪忍です。
燗酒よかろうと、言えば、こ存じ赤穂浪士神崎与五郎則休(よごうのりやす)の銘々伝の浪曲『神崎与五郎 馬子の詫び証文』や、講談の「神崎東下り」「吾妻下り堪忍袋」と、大事の前の小事と、するが堪忍、耐えるが堪忍です。
落語の『天災』では、紅羅坊名丸(べにらぼうなまる)と言う心学の先生が、粗暴なふるまいをする気短な八五郎に、諭すシーンがあります。
「なる堪忍は誰もする、ならぬ堪忍するが堪忍、堪忍袋を常に身に掛け、破れたら縫い破れたら縫い」と言います。
「なる堪忍は誰もする、ならぬ堪忍するが堪忍、堪忍袋を常に身に掛け、破れたら縫い破れたら縫い」と言います。
うーん、辛抱もココまで来たら、凄いです。
神崎与五郎も、ぐっと堪忍して、詫び証文を書くが、漢字が読めないと、平仮名で書かされます。
最後の署名の欄に、「かんざけよかろう」と読んでしまったから、さあ大変です。
これに因縁をつけ、土下座までしている神崎に唾を吐いて去っていく、それでも耐える与五郎です。
神崎与五郎も、ぐっと堪忍して、詫び証文を書くが、漢字が読めないと、平仮名で書かされます。
最後の署名の欄に、「かんざけよかろう」と読んでしまったから、さあ大変です。
これに因縁をつけ、土下座までしている神崎に唾を吐いて去っていく、それでも耐える与五郎です。
ここでは、「耐え~よ。横山」と赤いハンカチも必要ではありません。
スーツの裏地の刺繍の「拍手」もここでは、無用の長物です。
スーツの裏地の刺繍の「拍手」もここでは、無用の長物です。
「ま」と言えば、先日、スーパーで、良さげな生食のマグロのすき身を発見しました。
もちろん、マグロのブツも刺身用に取りました。
残った部位で、ネギと豆腐を一緒に鍋にしてみました。
俗に言う「ねぎま鍋」です。
ネギと鮪で、ねぎまです。
出汁は、もちろん、昆布出汁です。
カツオ出汁なら、マグロとで、魚魚と出汁が濁ります。
もちろん、マグロのブツも刺身用に取りました。
残った部位で、ネギと豆腐を一緒に鍋にしてみました。
俗に言う「ねぎま鍋」です。
ネギと鮪で、ねぎまです。
出汁は、もちろん、昆布出汁です。
カツオ出汁なら、マグロとで、魚魚と出汁が濁ります。
そこに、豆腐と白ネギを入れて、最後にマグロを投じます。
マグロと昆布の旨みが、豆腐とネギに染み込みます。
まさしく、ネギや豆腐が主役の鍋です。
マグロと昆布の旨みが、豆腐とネギに染み込みます。
まさしく、ネギや豆腐が主役の鍋です。
出汁に、醤油と酒で味を整えただけのシンプルな味わいです。
砂糖を入れて、少し甘い目に味付けても美味いと思いますが、酒の肴ですから、あっさりと素材の味わいを楽しみたいです。
『魯山人味道』の著書を通して、魯山人氏こだわりが、ここにもあります。
砂糖を入れて、少し甘い目に味付けても美味いと思いますが、酒の肴ですから、あっさりと素材の味わいを楽しみたいです。
『魯山人味道』の著書を通して、魯山人氏こだわりが、ここにもあります。
もちろん、この料理の上には、一味をフリフリしています。
イチラーであるこだわりです。
でも、一味振った方が、アクセントがあって美味いです。
もう一つ、臭みを消すために、針しょうがを入れています。
イチラーであるこだわりです。
でも、一味振った方が、アクセントがあって美味いです。
もう一つ、臭みを消すために、針しょうがを入れています。
味もぐっとき引き立ちます。
鮪の臭みも、気になりません。
鮪の臭みも、気になりません。
この甘さに、燗酒も進みます。
突撃と言わんばかりの進撃です。
突撃と言わんばかりの進撃です。
確かに、「鮪を食う話」の中で、「マグロそのものが出手なものであって、一流の食通を満足させる体のものでない」と述べられています。
また、「ねぎま」に関しても、その中で「年寄りはくどい料理としてよろこばぬが・・・」と記されていますよね。
また、「ねぎま」に関しても、その中で「年寄りはくどい料理としてよろこばぬが・・・」と記されていますよね。
著書の中で、マクロ自体の事は、一定の評価をされた上で、それほど悪く書かれていないことは加えておきます。
ただ、世の中が喜ぶほど、美味なものでないと位置づけられています。
この点については、私も同感の趣はあります。(食道に暗いかもしれません)
ただ、世の中が喜ぶほど、美味なものでないと位置づけられています。
この点については、私も同感の趣はあります。(食道に暗いかもしれません)
家呑み出来る幸せを痛感しております。
ありがたいと感謝して暮らさせて貰っています。
ありがたいと感謝して暮らさせて貰っています。
日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁を得たと、感謝しております。
ありがたい仏縁を得たと、感謝しております。
最後まで、長いネギを助けのツナにした話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。