''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

燗酒よかろうと、ねぎま鍋に肴にしてみました より。

日が暮れた時間から、少し気温が下がります。
日の沈むのも早く感じます。

通常のサラリーマンなら、帰りに一杯引っ掛けて帰りたくなります。
ただ、仕事の行き帰りが、スクーターを愛用していますから、それは御法度の定めです。

それ以上に、外呑みより、家呑みが好きですね。
ゆっくりした静かに雰囲気で呑みたいと言うのが、私の性分です。
ハードディスクに撮り貯めた映像を、晩酌タイムのお供にしています。

有村架純さんのように、ノリツッコミも軽く一人で、できます。
「なんでやねん」

今年の9月5日放送「とんなるずのみなさんのおかげでした」では、「食わず嫌い王決定戦1時間SP」で有村架純さんと古田新太さんが、朝ドラ『あまちゃん』対決を思い出します。

「タレで習字書いてみて!」と、ノリさんに振られても、一応乗っかって、タレが入った小皿を手に取って、「書けるか~い」とかわいい返しです。

共に、出身が神戸の方でしたね。
私も同じ兵庫の播州の産です。
少し語尾や言い回しが、細かい所では違うものの、大まかには、同じです。

大阪弁や京都弁とは、大きく違います。
人と括りに、関西弁とよく言われますが、本当はだいぶ違いはあります。
ただ、関西ローカルのテレビ番組が、笑いの主流ですからね。
大阪弁よりになります。

有村架純さんも一度、関西弁で考えて、標準語に変換されているようです。
その感覚は、分かります。

同じ兵庫でも、日本海側の地方と、瀬戸内海の地方とでは、言葉がまったく違います。
子供の頃、日本海側に車で行って、道に迷って近くのタバコ屋のおばあさんに、道を訪ねても、言っていることが聞き取れなかったです。

最近は、そんなこともありませんでしょうね。
子供さんが、テレビの影響で、標準的な言語が、理解できますからね。

言語と言えば、本日のテーマ、韓酒とねぎま鍋です。
燗酒よかろうと、言えば、こ存じ赤穂浪士神崎与五郎則休(よごうのりやす)の銘々伝の浪曲神崎与五郎 馬子の詫び証文』や、講談の「神崎東下り」「吾妻下り堪忍袋」と、大事の前の小事と、するが堪忍、耐えるが堪忍です。

落語の『天災』では、紅羅坊名丸(べにらぼうなまる)と言う心学の先生が、粗暴なふるまいをする気短な八五郎に、諭すシーンがあります。
「なる堪忍は誰もする、ならぬ堪忍するが堪忍、堪忍袋を常に身に掛け、破れたら縫い破れたら縫い」と言います。

うーん、辛抱もココまで来たら、凄いです。
神崎与五郎も、ぐっと堪忍して、詫び証文を書くが、漢字が読めないと、平仮名で書かされます。
最後の署名の欄に、「かんざけよかろう」と読んでしまったから、さあ大変です。
これに因縁をつけ、土下座までしている神崎に唾を吐いて去っていく、それでも耐える与五郎です。

ここでは、「耐え~よ。横山」と赤いハンカチも必要ではありません。
スーツの裏地の刺繍の「拍手」もここでは、無用の長物です。

この後、神崎与五郎は、東下りして、本懐を遂げることになります。
何事も、「ま」が大事です。
落語も浪曲も、笑いも泣きも、一瞬の「ま」が大事です。

「ま」と言えば、先日、スーパーで、良さげな生食のマグロのすき身を発見しました。
もちろん、マグロのブツも刺身用に取りました。
残った部位で、ネギと豆腐を一緒に鍋にしてみました。
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俗に言う「ねぎま鍋」です。
ネギと鮪で、ねぎまです。
出汁は、もちろん、昆布出汁です。
カツオ出汁なら、マグロとで、魚魚と出汁が濁ります。

そこに、豆腐と白ネギを入れて、最後にマグロを投じます。
マグロと昆布の旨みが、豆腐とネギに染み込みます。
まさしく、ネギや豆腐が主役の鍋です。

出汁に、醤油と酒で味を整えただけのシンプルな味わいです。
砂糖を入れて、少し甘い目に味付けても美味いと思いますが、酒の肴ですから、あっさりと素材の味わいを楽しみたいです。
魯山人味道』の著書を通して、魯山人氏こだわりが、ここにもあります。

気をつけないといけないことがあります。
ネギが熱々ですから、半分から手前を噛んでください。
あまり、多くイツ気に口に入れると、熱々のネギが、ミサイルのように発射されます。
テポドン級の驚異です。

もちろん、この料理の上には、一味をフリフリしています。
イチラーであるこだわりです。
でも、一味振った方が、アクセントがあって美味いです。
もう一つ、臭みを消すために、針しょうがを入れています。

味もぐっとき引き立ちます。
鮪の臭みも、気になりません。

この甘さに、燗酒も進みます。
突撃と言わんばかりの進撃です。

魯山人氏には、著書『魯山人味道』の中で、鮪と酒は合わないと、言われていますね。
物申すなら、燗酒に、ねぎま鍋に合いますよ。

確かに、「鮪を食う話」の中で、「マグロそのものが出手なものであって、一流の食通を満足させる体のものでない」と述べられています。
また、「ねぎま」に関しても、その中で「年寄りはくどい料理としてよろこばぬが・・・」と記されていますよね。

著書の中で、マクロ自体の事は、一定の評価をされた上で、それほど悪く書かれていないことは加えておきます。
ただ、世の中が喜ぶほど、美味なものでないと位置づけられています。
この点については、私も同感の趣はあります。(食道に暗いかもしれません)

鮪を美食の最高位に持っていく風潮は、いいことではないと思います。
酒にも合うような「ねぎま鍋」なら、脂の多いところでなく、赤身の刺身のすき身を使うと、上品な「ねぎま鍋」が家で楽しめます。

家呑み出来る幸せを痛感しております。
ありがたいと感謝して暮らさせて貰っています。

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁を得たと、感謝しております。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それを願うばかりです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事でありますようにと念じます。

最後まで、長いネギを助けのツナにした話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。