→関連項目中条流
中条(ちゅうじょう)流-富田(とだ)流のながれをくむ鐘捲(かねまき)自斎にまなび,回国修行ののち一刀流を創始。門弟に古藤田勘解由左衛門(ことうだ-かげゆざえもん)俊直,神子上典膳(みこがみ-てんぜん)(小野忠明)。天正(てんしょう)19年(1591)下総(しもうさ)で典膳とわかれたあと消息不明。一説に承応(じょうおう)2年(1653)94歳で死去という。出身地は近江(おうみ),伊豆(いず)など諸説ある。名は景久(かげひさ)。通称は弥五郎。姓は伊東ともかく。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
生年:永禄3(1560)
江戸前期の剣術家。一刀流の開祖。生まれは近江国(滋賀県)とも伊豆大島(東京都)ともいわれる。幼名は前原弥五郎。剣客を夢見,14歳のとき伊豆国(静岡県)三島で富田一放と勝負し打ち勝った。このとき三島神社の神主より名刀を与えられ,代々一刀流宗家に伝えられる「瓶割の刀」となった。のち江戸に出て鐘捲自斎の弟子となり,印可を与えられ伊藤一刀斎と名乗った。創案した組太刀は「刃引」「相小太刀」「五十本」「正五点」で,その内容は「当流剣術の要は事也。事を行うは理也」とされ,技術と理論の一致を求めたものであった。改名後も諸国で修行を続け,伊勢桑名の船中で小野善鬼の挑戦を受けてこれを退け,上総国(千葉県)でも挑戦者を打ち破ったが,このときに弟子になった小野忠明に一刀流の2代目を継がせている。<参考文献>石岡久夫『日本の古武術』
(藤堂良明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
一刀流剣術の祖。名は景久。幼名は前原弥五郎。剣豪で知られるが,経歴は不明確である。生国についても伊豆伊東,伊豆の大島,江州堅田,加賀金沢など定説がない。生没年についてもいくつかの説があるが確証はなく,それだけに伝説や逸話が多い。一刀斎は我流の剣法であったが,富田流の鐘捲自斎(かねまきじさい)に学び一刀流を創始したといわれ,全国を周遊して真剣勝負をなすこと33回,敵をたおすこと57人と伝えられる。鎌倉八幡宮で無意識のうちに人を切り夢想剣を開悟したとか,愛妾と酒を飲み,蚊帳の中で寝ている間に裏切った愛妾が刀を持ち出し,賊を招き入れ襲われるが,相手の刀を奪って危地を切り抜け仏捨刀(ふしやとう)を編み出したなどの俗説は有名である。
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