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分部 嘉高(わけべ よしたけ)
江戸時代前期の大名。近江国大溝藩3代藩主。分部家4代。官位は従五位下・若狭守。
慶安元年(1648年)、2代藩主・分部嘉治の長男として誕生。正室は有馬康純娘。
明暦4年(1658年)に父・嘉治が妻の叔父の池田長重と対談中に口論となって刃傷沙汰となり、長重は即死、嘉治も翌日死亡したたため、若年ながら急遽その跡を継いだ。
若年の身でありながら民政に尽くしたとされる。
寛文6年(1666年)、藩領内において大洪水のために凶作となると、嘉高は所持していた郷義弘の名刀を4代将軍・徳川家綱に献上し、その見返りとして得た黄金400枚全てを領内の復興と窮民救済に当てた。
寛文7年(1667年)6月12日、死去。享年20。嘉高には嗣子がなく、ここに分部氏の系統は断絶した。死後、家督は母の縁戚である分部信政(母の叔父である旗本池田長信の三男。母の従兄弟にあたる。)が継いだ。
養子 信政(内蔵助の血筋)
その養嗣子となって跡を継いだ。嘉高の母の父が池田長常。長信の兄であり、すなわち嘉高の母と信政は従姉弟となる。