''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

St.Cousair (サンクゼール)の瓶に入ったケチャップを使ったオムライスのランチタイム より。

最近、インフルエンザが流行っていますよね。
少しビックリです。
皆さん気を付けて下さいね。

 

何やら体調が思わしくない分、用心しています。
仕事柄、インフルエンザになれば、出勤出来ません。
多くの方に被害が出るからです。

 

やはり、体調管理は必要です。
その一つに休息も必要です。

 

先日のオフの日には、ささやかな家での遅い目のランチタイムを過ごしました。
安いワインも開けましたね。
ソーセージや揚げた皮付きポテトも、差し入れです。
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ランチにオムライスにしてのは、前に差し入れて貰ったSt.Cousair (サンクゼール)の瓶に入ったケチャップがあったからです。
St.Cousair (サンクゼール)は、長野県飯綱町にあるワイン・ジャムなどの製造やレストランの会社のようです。

 

瓶詰めのケチャップと言えば、少し高級感がありますね。
早速、ごはんをチキンブイヨンで固めに炊いて、輪切りのソーセージを入れて、ケチャップ入れて、フライパンで炒めるだけです。
あとは、玉子を溶いて、このケチャップライスを、玉子で巻いてオムライスにするだけです。
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こんな感じです。
意外と上手にまけています。
天には、もちろん、St.Cousair (サンクゼール)のケチャップを盛りました。

 

レストランなんかでは、ケチッャプよりドミソースが乗る方が、大人向きです。
何だか、大阪中之島のシンボル、中央公会堂の旧の地下食堂のオムライスを思い出しましたね。
シンプルであっても、職人の技が光っていました。
あんなに薄く玉子を巻くのは、至難の業です。

 

私は、意外に厚めに巻いたオムライスが好きです。
自分好みのオムライスに仕上がっています。
隣で、相方が大盛のオムライスを黙々と食べています。

 

家なら、三角の紙ナフキンにスプーンをクルクルと巻きつけて、置いて置くのも何気ない演出かもです。
それでも、家で食べるオムライスもいいですね。
白ワインがよく合います。

 

つまみに頂いたソーセージと揚げた皮付きポテトが、休日の昼下がりのランチを盛り上げてくれました。

 

瓶に入ったと言えば、私が母に買ってもらった最初の絵本・『瓶に入った悪魔』を思い出します。
何やら不思議なタイトルが、今でも思い出されます。
インターネットで調べても、出て来ませんが、確かこんなタイトルです。
話のあらずしもうる覚えです。

 

禅の言葉、禅語の中にも、「雲在青天水在瓶」があります。(『禅語の茶軸 一行物』羽賀幸四郎著 淡交社刊より)
中国唐時代に、儒者して文学者として、有名だった李翺(りこう)が、初めて薬山禅師と問答した所、声を大にして、「雲は青天に在って水は瓶にあり」と答えたといいます。李翺、この言葉に悟りを得るまでもなく、なにやら大いに得るところがあったと言われています。

 

註、他の調べによると、「雲」が「月」に変わっている禅語もありますが、我が愛読書の『禅語の茶軸 一行物』(羽賀幸四郎著 淡交社刊)にしたがって、雲とした上で話をしています。

 

夜に行ったわけでなくので、雲の方が話の筋道は合っていそうです。
李翺(りこう)が、郎州(湖南省常徳県)の刺史(知事)となって、赴任したところ、この辺りに高僧はいないかと尋ねられて、薬山禅師の事を知ったようです。
その上で、何度も使者を出して、会いに来てほしいと言えども、一向に返事がなく、しびれを切らせて、自ら薬山禅師の草庵に訪ねた上で、読経の最中、一向に振り向かず、悪態をつかれた時に放ったのが、この禅語のようです。

 

一方の手で天を指し、他の手で側にあった浄瓶(きれいな水を入れる水差し)をさして、「どうじゃ、わかったかな?」と問うと、さすがの李翺(りこう)も「分かりません」と正直に答えたと言います。
この時の言葉が、先ほどの「雲在青天水在瓶」です。
この後、薬山禅師に帰依したと言います。

 

この話を画題にしたのが、東京国立博物館秘蔵の因陀羅筆の「薬山・李翺問答図」の名品のようです。
この禅語の意味するのは、やはり、諸法実相のようです。
よく分からない私は、利口ではありません。(ここしか、笑うところないですよ。ねぇー、とおるちゃん!!)

 

要するに、毎日の日常の生活がそのまま、仏の道に通じていると事でしよう。
日々精一杯、当たり前に生きることの延長線上に、いろいろな修行があるんでしよう。

 

時に、瓶に入っているのは、悪魔で、水でも、ケチャップでもなく、ささやかな日常の幸せだと言う事です。

 

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、瓶に詰って先が見通せない話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。