''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

日本海・宮津へのほっこり小旅 観光 編 田辺城跡 より。

今日も朝からどんよりとしたお天気です。
今日は、オフ日です。

朝から、モーニングカレーを頂きました。
もちろん、昨晩の残りではありません。
朝から、圧力鍋を使って、嫁が朝に作ったカレーです。

モーニングカレーもいいですよ。
がっつりと、大盛で頂きました。
ご馳走様でした。

先日来、日本海宮津へのほっこり小旅の記事を書き記しています。
温泉に浸かって、ゆっくりして時間を過ごせました。
昨日に続いて、今日は、目的地の一つに挙げた田辺城跡(資料館)です。

舞鶴の中心街にあります。
アクセスはいい方だと思います。
車で、市役所の隣の駐車場に止めれば、すぐに行けます。
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慶長5年(1600年)東西の関ヶ原の戦いに於いて、西軍15,000人の大軍に対して、東軍の細川幽斎は、わずか手勢500人で、迎え撃ち、50日近くも籠城したと言う。

当時の幽斎は、三条西実枝から歌道の奥義を伝える「古今伝授」を相伝されており、弟子の一人である八条宮智仁親王や時の帝・後陽成天皇も幽斎の討死と、古今伝授の断絶を恐れていたと言われます。

その為、後陽成天皇が、幽斎の歌道の弟子である大納言三条西実条中納言中院通勝、中将烏丸光広を勅使として田辺城に派遣し、講和を命じる勅命に至り、勅命ということで幽斎らは、これに従い、9月13日に田辺城を明け渡したと言う歴史的経緯があります。(ウィキペディア参照)
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最初、幽斎は、開城を固辞し、勅使・烏丸光広に古今伝授の秘伝書と和歌一首を託したと言います。
その時の和歌一首が、下の歌です。

「いにしへも今もかはらぬ世の中に こころの種を残す言の葉」

それと同時に、幽斎の愛刀である太刀を送ります。
その太刀が、国宝で有名な古今伝授の太刀行平です。
過去にも、私はこの古今伝授の行平の記事を書いています。

長さ79.9センチ、反り2.9センチ、鎬造り、庵棟、小切先、銘は裏に「豊後国行平作」。
腰の部分に彫刻が施されており、表は梵字と倶利迦羅、裏は梵字と仏像が彫られている。

概ね、写真も我愛読書『新・日本名刀100選』(佐藤寒山著 秋田書店)の引用です。
それらの名刀を並べても、私は「古今伝授の行平」、名刀中の名刀だと感じますね。
刀身に彫り物があるのも、特徴ですね。
この本によれば、この行平が、刀身彫り物の祖と言っています。

佩表には、龍の彫り物と梵字で「カーン」(不動明王)と「サ」(観世音菩薩)に見えます。
佩裏には、役行者小角(えんのぎょうじゃ)みたいですね。
そして、梵字は、バイ(毘沙門天)に見えますね。

太刀ですから、佩表に銘を彫るのが一般ですが、佩裏の銘が彫ってあります。
少し変わった刀工だと、本の解説には、書かれています。
梵字もそれほどの意味は、なかったのかも知れません。
確かに、梵字と彫り物に意味を求めても、何かあるのか、ないのか私には分かりません。

とりあえず、過去に於いて、京都国立博物館の細川家の至宝展で、じっくりと見たことがあります。
それに、大阪市立歴史博物館でも、観ていますので、過去に2度機会がありました。
やはり、名刀の中の名刀でしょうね。

そんな予備知識の中での、田辺城です。
感慨深いです。
この地で、この歴史が造られたことになりますからね。
うーん、歴史って素晴らしいですね。(もちろん、映画もです)

いい時間の小旅行が出来ました。
ありがたいと共に感謝の気持ちです。
また、時間に余裕が出来れば、小旅行したいです。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、刀(とう)や梵(ぼん)好きの歴男の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。