''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

具だくさんに、そうめんを食らう より。

暑いです。
この時間にして、この暑さです。
夏ですよ。

こんな時は、食欲も落ちるのが、常です。
オフ日の昼なら、やはり、そうめんにしてみましょう。
先日食べたそうめんです。

私も播州の産として、そうめんと言えば、播州の揖保の糸です。
伯父が、商売をしていたものですから、伯父の家の倉庫にあるのは、中元に木箱で贈られるそうめんの山でした。

そうすると、そのお余りをしっかりと頂くのは、母の智慧でしょう。
確かに、3年物のひねのそうめんは、格別です。
そうめんの帯の色も、日用品の赤から、黒帯です。

固めにゆでたそうめんが、そこにあったら、美味しかったでしょうね。
母も父も、少し湯掻き過ぎたそうめんが、美味しいと思っていた田舎者です。
ですから、子供の頃の私は、そうめんは苦手で、にゅうめん派でしたね。

夏休みと言うと、毎日ひるごはんはそうめんだったのも、好きにならなかった一つです。
それに、薬味でしょうね。
彩りのある薬味がたんとあれば、食べのかもしれません。

とは言え、大人になって、自分好みの固めのそうめんなら、箸も伸びます。
もちろん、にゅうめんもよく食べましたね。
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嫁と一緒に頂くそうめんです。
頂き物の地の胡瓜を塩したものを用意しました。
それに錦糸玉子風の薄焼き玉子です。
それに、彩りのトマトです。

トマトは櫛切にしたものと、サイコロにかっとしたものと、2種類用意しました。
写真は、櫛切のものです。

純白のそうめんに、麺汁をくぐらせて、口元に運びます。
喉越しもいいです。
そうめんを、麺汁には、どっぷりと浸けず、半分くらいほどくぐらせると、口中でいい塩梅です。

軽く胡瓜と錦糸玉子の加減も、そうめんを邪魔しません。
彩り程度ですからね。

氷を浮かべるのは、苦手です。
氷にそうめんが、ひっつきますし、氷の冷たさが、折角のそうめんの香りを邪魔します。
蕎麦ほど香りはありませんが、小麦と塩で作られた造形には、無用の長物です。

少し冷えた常温の妙が、そこにあります。
田舎なら、冷えた井戸水の適温だと思います。
冷え過ぎた日本酒もいけません。
冷え過ぎたキンキンのビールも、いけません。

美味さとは、無関係の代物です。
本質の美味さを感じられる為に、クーラーも無用です。
少し汗かきかきの夏を感じたいです。
その分、冷えたと感じるそうめんや日本酒の美味さがそこにあります。

落語『青菜』を思い出します。
ご隠居が、「植木屋さん」と、声をかければ、食べるのは「青菜」、呑むのは「柳蔭」と相場が決まっています。(実際に食べるのは、酒肴として鯉の洗いです)
「柳蔭」とは、みりんに米焼酎を加えた甘口のお酒です。
今でいうリキュール酒ですね。

関東では、直し(なおし)とも呼ばれます。
暑い時期に、サッパリと呑める感覚です。
焼酎ベースですから、いっぱい呑めるものではありません。
まして、甘いみりんが入りますからね。

肴の青菜には、向かないかもですね。
しかし、青菜を思い出したご隠居が、「奥や、奥や」と妻を呼びます。
その後、妻は何も持たず座敷に現れて、「鞍馬から牛若丸が出でまして、名も九郎判官(くろうほうがん)」と不思議な返答をします。
するとご隠居も、「ああ、義経にしておこう」と言ってすませてしまう。

不思議な会話に、誰かお客人かと、尋ねる有様です。
要するに、食べてしまったという符牒です。

昔、商売には、符牒と言うものがありましたね。
特に数字は大事です。
お客さんに対して、値段が決まっていません。
そこで、値段を客の前で決めるので、符牒が必要になります。

1・2・3・4・5・6・7・8・9・10も、ある店ではこう言ったといいます。
う・ら・の・み・せ・さ・か・え・る・な です。
「裏の店栄えるな」って、ゲンの悪い符牒ですね。

例えば、1万円なら、う万、2万円なら、ら万ですよね。
もちろん、万にも符牒があります。
芸人さんみたいですね。
ツェー万って、明石家さんまさんがよく言いますよね。
コードのC(ツェー)=1 がなんでよすね。
ですから、1万円でよかったですね。

おドイツ読みですからね。
BMWも、私達世代は、ベームベェでしたね。
AMGも、アマゲーでしたよ。
子供の頃に好きだった『グランプリの鷹』が懐かしいです。

主題歌『グランプリの鷹』(水木一郎フィーリングフリーアローエンブ 作詞:保富康午 作曲:宮川泰)も、好きでしたね。

♪ ~ちから一杯 はばたいて 今日のレースは いただきさ おれも マシーンも 傷だらけだが いつかのぼるぜ 栄光の空~

このフレーズが好きでしたね。
YouTubeを検索すれば、出て来ます。
いい時代ですね。

そう子供の頃に、こんな時代になるとは、思わなかったです。
パソコンも、時代は始まったばかりでした。
何年か先に、マイコンと呼ばれる時代になりますからね。

それでも、夏休みは、そうめん食べていました。
この辺りは、今も昭和のままです。
ありがたいことです。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、机の角で弁慶の泣き所を打ったように詰らない話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。