''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

ゆうゆうの絵本箱 『まるさんかくぞう』(及川賢治 竹内繭子) より。

ゆうゆうの深夜の咳込みも、まだまだ続いています。
突然夜に咳込んでは、私が背中を擦ります。
私の口先で、コンコンしますので、私の体調もすぐれません。
子供の病気は、まさに原液状態です。

そうそう、そう言えば長いことウィスキーを呑んでいません。
元気な時は、ストレートです。
さわやかに酔いたい時は、ソーダ割りですよね。

今となっては時効ですが、高校生の頃、友達がコークハイを呑んでいましたね。
どうも好きにならない味でした。
まだ、チューハイと言うものがなかっただけに、ウイスキーも我が家では常備していないものでしたから、呑んだことがなかったです。

ウイスキーの原液と、子供の病気の原液は、何か似ているような気がします。
似ていると言えば、子供の絵本です。
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ゆうゆうの所蔵の絵本箱に、 『まるさんかくぞう』(及川賢治 竹内繭子) があります。
「まるさんかくしかく」の「○△□」なら、これは禅でよくつかわれる悟りの意味合いが強いですよ。
禅僧の仙厓義梵(せんがいぎぼん)が描いた「○△□」(出光美術館蔵)があります。

凡夫のサガゆえ、難しいことはいざ知らず、京都の北、鷹ヶ峰を上がっていくと、有名な寺院の源光庵にある「迷いの窓」と「悟りの窓」の窓を思い出します。

迷いの間の凡夫としては、いろいろ思うところもあります。
私なりに理解をすれば、小さなことには気にしないことです。
悟りの境地に入るには、迷いがないとイケないです。
迷った挙句に、落ち着くところに落ち着くわけです。

このゆうゆうの絵本は、まるさんかくぞう(○△象)さんです。
えって思うなかれ、途中で、象さんだけでなく、船やバスや鳥や帽子や魚になります。
不思議な世界観です。
子供なら、楽しいこととも思います。
それでも、子供の「どうして?」にも、対応できない不思議な世界です。

その理由はないんです。
形なのか、象形したものの代表が、象さんなのかもしれません。
意味合いを考えるのは、難しいです。
それは、仏の世界も同じです。

仏の智慧は甚だ深く無量です。
なかなか理解できないもののようです。
分からないから、理解できないから、言われた道を進むしかないんです。

この道を歩めば、いずれ長安に至るわけですよ。
これが禅語の「大道長安に透る」ですね。
禅の歩みに、超特急はありません。
日常の歩みの中で、何かを得られると思っています。

日々感謝して暮らさせてもらっています。
平穏無事に過ごせますように祈るばかりです。
ありがとさんです。