''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

京都東山探訪 大谷祖廟

ねねの道から円山公園に抜けようとすると大きな道路を横切ります。
大抵の方は何かご存知ありません。また、平日ご存知の方しか東にこの坂を登っていかれません。なんとも情緒のある場所です。時に伺ったときは雨の夕刻、人もほとんどおいででありません。(今日は写真も多いですから、小難しいときは斜め読みして下さい)

ここは浄土真宗真宗大谷派親鸞聖人の祖廟です。真宗十派と言われる真宗大谷派の祖廟です。10の宗派があります。ですから、他にも祖廟はあります。

浄土真宗とは、南無阿弥陀佛と念仏を唱えて、阿弥陀如来の慈悲のお力により、全ての人が西方浄土へ往生し成仏するという教義です。宗派により、言葉や解釈に多少の違いはあります。(一般的に無難に解釈したものです)

浄土真宗は、別名「一向宗」と呼ばれ、戦国時代などには一大勢力を作り、戦国大名にも匹敵する一大勢力を形成します。一向一揆などと言う言葉を学校で習ったあの一向です。長き歴史の中で政治的な流れに翻弄され諸派に分かれて行きます。また、織田信長らとも戦い、長きに亘って苦しめることとなりました。大坂城の原型、石山本願寺もこの宗派にあたります。このため徳川家康なども宗教的な勢力をおそれ、本願寺を西と東に二分した政治的な経緯もあります。

今も京都の下京には巨大な敷地を持つ西(浄土真宗本願寺派)と東(真宗大谷派)の本願寺が存在しています。京都では、親しみを込めてお西さん、お東さんと呼びます。そのお東さんの親鸞聖人の祖廟です。荘厳で大変立派です。
写真と共に祖廟に近づいて下さい。
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登る道々にいろんな言葉が記されています。真宗の教えであったり、宗教的な本質であったり、時として人の生きる道が看板に記されています。深く感銘を受ける言葉もあります。
その中に私のよく言う言葉がありました。
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「人は生きているのでなく生かされています」と私はブログの中でよく書きます。
生きていると言うには程遠いからです。生きることは偶然の偶然、つまりそれは必然なのです。たまたま生きているのではないのです。

私(わたし)的に言うなら、人はそれぞれ天命があります。天命を持ってこの世にあります。天とは、人それぞれ違います。信じる神や仏によって違うのかもしれません。それぞれに主が違います。その主に託された天命があるはずです。ですから、傲慢に生きているわけでなく、天命を実行するために生かされているというのが考えの根本です。

ここにもそれを感じた方がおいでです。中村久子さん、有名な方のようです。勉強不足で存じませんでした。帰って調べましたら、凄い方でした。
中村久子さんを紹介するホームページです
中村久子は幼い頃、突発性脱疽がもとで両手両足を失い、一時は失明の苦しみまで経験しました。心中まで思い詰めた母も、しかし娘に独立して生きる道を選ばせるため、縫い物の猛特訓を始めます。その後、父親の死、母親の再婚、義父の冷たさ、見世物興業への売却など、苦難がつづきます。

中村久子は、想像を絶するような苦しみの渦中で、生きていくために芸を身につけていきます。芝居小屋に雇われて口だけで文字を書いてみせました。
中村久子は、見世物小屋時代に、そのつらい経験を書いた文章が認められて、雑誌に掲載されます。それが縁となり、努力してきた久子の境涯が世間に注目されました。

歎異抄』との出会いによって、親鸞の心に出あうのです。そこに救いを求めて、人として生きる道を考えられます。
あのヘレンケラー女史と三回目の会見をするというのも凄いことです。
(中村久子さんを紹介する上記ホームページから一部抜粋、一部引用しました)

中村久子さんは、人としての傲慢さに苦しみ抜いた偉人でもあります。壮絶な人生がそこにはありました。

人それぞれの天命は違います。私は偉人にはなりたくもないですし、偉人には到底なれません。普通で結構です。それでもありがたいです。忙しく今日一日を精一杯生きるので手いっぱいです。それでも充分ありがたいです。

上を見てもキリがないです。人に与えられたのは一日24時間です。どんなお金持ちでも、日に10食は食べられません。人としての営みにそれほど違いはないはずです。前に進むしか道はないんです。これも一緒です。

そういう意味では、人は平等です。

そう考えると楽になります。後は自分の頑張りだけです。疲れたら少し休めばいいそれだけです。すこし、心をゆっくりする必要があります。

道々の花を見ても、月を見ても癒されます。時間や場所ではありません。心のいやしです。自分で気持を上手にコントロール術(すべ)が必要です。人生も病気も一緒です。

話が難しくなってしまいました。
最後に、親鸞聖人の廟を見てみましょう。
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遺徳を偲びましょう。
宗教的な話は別にして、どの宗教、宗派に対しても聖地はあります。
聖地は神聖な場所です。心を清らかにして敬意をもって接して下さい。
京都は観光地であるととも宗教の本山や聖地が多いです。心ある節度ある気持で臨んで下さい。

このまま円山公園を通って八坂神社に向かいます。明日も続きます。
一念坂からまだ1.2キロメートルも離れていません。

今日は小難しい話となってしまいました。申し訳ありません。
最後までお付き合い下さいましてありがとさんです。