タイトルの通り、僧侶のあおり運転の報道に、疑問ありですね。
送検されても、名前も顔も映さない映像を報道が使い回しするのは、可笑しいです。
それも、今度は堺でのあおり運転、松原市の61歳の僧侶ですね。
派手な77のナンバーに、派手な車です。
それに、あおり運転直後に、車から出て来たのは、法衣と言うから、これが僧侶なのか、反社会的組織の方なのか、不明です。
ニュースでも、お寺の映像が出いましたね。
すでに特定されているようですね。
私も西本願寺派の寺院の檀家に属していますので、まさかと言う思いと、僧侶がこんなことをすると言う腹立たしさと残念な気持ちでいっぱいです。
仮に、あくまでも仮に、この僧侶が、本願寺派に属する僧籍のある僧侶だとすれば、西本願寺は、僧籍はく奪等の重い処分をするでしょう。
西本願寺所属の僧侶としてあるまじき行為ですからね。
その上で、仮に、西本願寺から離脱したとしても、寺院としては存続出来ます。
何故なら、本山末寺の関係はあるものの、別個の宗教法人であるからです。
宗教法人である以上、役員の中には、住職の他に、総代などの檀家の役員が含まれることが多いです。
多数決で、役員解雇すれば、問題はありませんが、総代が追い出される可能性もあります。
仮に、西本願寺が本山であったとしての、この人事には、口を出せません。
それが、多くの本山末寺の問題として、日本中にある宗教問題ですね。
仮に、西本願寺から所属を、仮に東本願寺に変えたとしても、何らの問題もありません。
同じ浄土真宗でなく、全く違う宗派に改宗にすることも出来ます。
ただ、檀家は納得できるかどうかですね。
仮に、本願寺派だと思って、先祖伝来お寺を守って来て、いきなり、住職があおり運転で捕まって裁判で処分を受けたと言う事になっても、そのまま住職に職に留まることに、反対するのが常です。
その場合に、住職を解雇して、新たに本山から新しい住職を派遣することが、多いですね。
お寺は、住職の家と言っても、宗教法人としてのお寺の施設の一部になっていることが多いです。
基本、宗教施設と居住空間を分けることも出来ない施設も多いです。
どちらにして、お寺としての機能は停止されますね。
その間に、葬儀や法要があれば、長い間檀家が支えて来た歴史的な礎も失う事になります。
地方の田舎の古くからある家では、大抵の方が、どこかのお寺に属されていることが多いです。
お寺は、破たんしたからと言って、すぐにお寺を鞍替えすることは出来ません。
それだけ、人の暮らしとお寺が密接に繋がっていることが再確認されます。
ただ、現代の都会の家では、葬儀会社が葬儀する締結のお寺との間接的な関係で、繋がっているだけかもしれません。
まだまだ田舎では、お寺は町内でも中心的な役割を果たすことが多いですよ。
そんな精神的支柱の僧侶が、あんなあおり運転に日常的にするとなると、より一層僧侶に対する考え方が変わりますね。
どんな結末になるのか不明ですが、事件の今後の推移を静観したいと思います。
特に、仮に本願寺派に属する僧侶であるなら、教務所の判断がすぐに出ることを念願します。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。