昨日は、急に寒さが戻りました。
温かい日が続くと、一気に肌寒いです。
日曜日の雨が禍したのかもしれません。
桜も散ったでしょうね。
明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは
浄土真宗の開祖、親鸞聖人が9歳で得度したときに詠んだ歌を思い出します。
自然の摂理の中で、花は花として、桜は桜として、春になったから、花を咲かせたのです。
人にほめて貰いたいと思って、咲くわけではありません。
人の人生訓にも出来ます。
社会の評価は、人なら気になるところです。
でも、そればかりに囚われては、自分の本質を見失います。
すべきことをなして、その後に評価は付いて来るのです。
明日ありと思う心に、比叡山だけに、油断大敵なんでしょうね。
春になったら、そんなこと思っている間に、時は流れて行きます。
禅の言葉、禅語の中に私の好きな禅語「逢花打花逢月打月」というのがあります。
「花に逢えば花を打し、月に逢えば月を打す」と読みます。
打つと書いて、たすと読みます。
人の心をうつという意味の打つですね。
桜が咲いていたら、綺麗いだと思って、心行きまで眺め、天の月を輝いて居れば、月が綺麗と仰ぎ見て、執着しない事でしようね。
名所の桜でなくても、家の近くの公園にも綺麗に桜が咲いています。
それを見ずして、明日の日曜日に花見をすればいいと思えば、仇桜になりますよ。
桜は、5歳児のゆうゆうと保育園の帰りに見て来ます。
それで、満足です。
ゆうゆうは、大阪城公園に行こうと言います。
コロナ禍ですから、密は避けたいです。
トイレにも困ります。
家で嫁が苺と抹茶のスィーツを作りました。
大きな子供盛です。
器は、有田焼(龍峰窯)です。
天に苺と抹茶のゼリーが乗っています。
中には、苺のスライスの、コーンフレーク、こし餡、そして周りを生クリームが取り囲んでいます。
こちらは、私の食べた大人盛です。
甘さに少しは頂きます。
とりあえず、カロリー気にしながらの小盛です。
餡と苺は相性がいいです。
餡と抹茶も相性がいいです。
それなら、美味いに決まっています。
ゆうゆうも、いの一番に食べていましたね。
家でのささやかな時間です。
今暫く、不要不急の外出を控えたいところです。
それでも、家で家族と過ごせるのは、ささやかな幸せであり、ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。